牧師からあなたへのメッセージ     



Short Message 6 神の沈黙についての自己体験

西南学院大学神学部の助教授として教会史とバプテスト史を教えておられた小林昌明先生が、40歳の若さで素敵な奥様と可愛らしい二人のお嬢さんを後に残して、喘息の発作で急に亡くなってしまわれた時、私は大きな衝撃と悲しみの中で「何故ですか神様!これから大きな働きをなさる先生をなぜ奪われたのですか!」と祈ったことを記憶しています。しかし、神様は沈黙してお答にはなりませんでした。

しかし、亡くなられたはずの小林先生が「斎藤君、後を頼む」と耳元で囁かれた不思議な体験を今も覚えています。それは1968年のことですが、留学試験にパスしてアメリカの南部バプテスト神学校で私が学ぶことになった時、神学部教授会の要望として、帰国後に神学校で教える可能性を考えて、教会史とバプテスト史を専攻してきて欲しいという説得を当時の神学部長、尾崎主一先生から受けたのです。私は明石市で開拓伝道に従事しておりまして、教会史を学んで神学部で教えることなど全く考えておりませんでしたから、大変びっくりしました。

三か月祈っても専攻に関する決断がつかず迷っていました時、当時、西南学院大学神学部と児童教育科の評議員議長をしておられた荒瀬昇先生から強く説得されました。開拓伝道では自分の力に望みを置かず、ただ神を仰いで祈りにより恵みを受けたように、祈りに時間を割いて神様から力をいただきながら学べば、私のような者でも歴史神学の学びは可能だと示され、決断しました。

五年間の留学と必死の学びにより博士号を取得後、福岡市南区の長住教会の牧師に招聘を受け、翌年から非常勤講師、また客員講師として神学部で教会史やバプテスト史を12年間、教えることになり、1987年に長住教会辞任後、再留学して帰国後、福岡女学院大学の専任教授として迎えられ、また非常勤講師手して1990年4月より2002年3月まで12年間、神学部でバプテスト史を教えたのです。神様のなさることは人の思いを越えていて、誠に不思議です。小林昌明先生の囁きがきっかけとなり、留学して博士課程で学ぶ道も開かれ、帰国後、合計24年間も神学部で教えることが実現したのです。

でも、何故あの時、小林先生が天に召されてしまったのか、私は天国で主にお尋ねしてそのわけをお聞きしたいと今でも思っております。
また私が信仰の道に入ってから、特に伝道者として働き始めてから、日本人救霊のためにどんなに真剣に祈って働いても、救われる人はごく少数で、私の嘆きの言葉を聞かれない神の沈黙の前に、どうしようもなかった苦悩の経験を積み重ねてきました。日本の土壌にキリスト教がなかなか土着しないということ、クリスチャンの多く人々が全能の神にどんなに祈っても、殆どの日本人は固い貝殻のように、キリストに心を開かない理由を神様にお尋ねしたいと思っています。

失望することなく、忍耐して祈り続けて待つことのみが、神の沈黙の前における、正しい態度なのでしょうが、「神の沈黙」は、それを体験する者にとっては試練でもあることは事実です。

  













 

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