牧師からあなたへのメッセージ     



Short Message 30
 
主イエスのもとへの案内者
〜イエスの弟子、アンデレ物語〜
 

 マルコとマタイによる福音書は、アンデレとシモンは兄弟であり、ガリラヤ湖で漁業を営むベッサイダ出身の漁師でしたが、「あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」という主イエスの招きに応じて従い、弟子になったと述べています。(マタイ4章18-20節;マルコ1章:16-18節)
ヨハネによる福音書はアンデレとヨハネは、はじめ洗礼者ヨハネの弟子であったこと、またナザレ人イエスに目をとめて「見よ、(世の罪をとり除く)神の小羊」と洗礼者ヨハネから紹介されて、主イエスの後をついていったと書いています。(ヨハネ1章35-37節) 彼らは内気であったのでしょう。一定の距離を置きながらついて行ったのです。

教会に来て、聖書を学び始める人は皆そうですね。初めは余り教会に深入りしないようにと思います。時間をかけて教会に出席している人々を観察し、聖書の内容、教えを理解してから、心を開こうと思う人は多いのです。心の中で一定の距離を保ちながら近づいて行くのです。しかし、教会に初めて来た人は、クリスチャンの顔に幸福そうに輝く笑み、平安を宿している姿、親しく挨拶してくれる温かさに驚くのです。教会やキリストへの距離は、神様のほうから打ち破り、クリスチャンを通して語りかけて距離を縮めて下さるのです。

アンデレとヨハネに気付いて主イエスは振り向き、「何か願いがあるのか」と尋ねます。一定の距離は主の方から打ち破られ、彼らの真実の願いが引き出されます。アンデレとヨハネは「先生はどこにお泊まりなのですか?」と尋ねます。ゆっくりとお話を聴いて、イエス様がどのような人か知りたいと願ったのです。彼らの願いは快く聞かれ、泊まる宿に一緒に連れて行かれたのです。そして、その行動が彼らの人生を決定的に変えてしまう瞬間となったのです。ヨハネは「その時は午後4時頃であった」と明確に記しています(1章39節)。洗礼者ヨハネの元から主イエスの弟子への移行の転換点を意味します。

一夜を共にし、主イエスから話を聞いて、主イエスはメシヤ(訳せばキリスト=救世主)と確信する決定的な出会いをしたアンデレは、その時から人々を主イエスのもとに案内する人となりました。主イエスとの出会いはアンデレを大きく変えてしまいました。主イエスの人格に触れて、「この方は神様だ」と直感で分かったのです。イエス様から伝わってくる大きな愛がアンデレの心を満たし、「この方こそ、私が地上で出会いを求めてたメシアであり、他の何ものにも優る真理を示し語る人だ」と悟ったのです。

 人はどんなに立派な家に住んでも、心が完全には満たされません。どんなに富を蓄えても、心の不安は完全には消えません。どんなに愛する家族・友人がいても、心の孤独は真に癒されることはありません。友との語らいに、趣味の中に時を忘れても、寂しさは再び戻ってきます。地位も、名誉も、財産も、死の恐怖から開放してくれません。ところがイエス・キリストとの出会いを体験すると、神の愛に満たされ、不安は消え去り、孤独は癒され、死の恐怖から開放され、永遠の命への希望が与えられ、喜びが溢れるのです。

アンデレは兄弟シモンを主イエスのもとに案内します。家族伝道の初めです。兄のシモンはケパ(訳せばペテロ、岩)というニックネームが与えられ、やがて一番弟子に変えられてゆきます。アンデレは大麦のパン五つと魚二匹を持っていた子供を主イエスの元に案内します。子供の持っていたものは祝福の祈りを受けて、多くの人々の心身を満す糧として用いられます。主イエスは子供の捧げ物を大きく用いられたのです(ヨハネ6章8-9節)。

アンデレはギリシャ人を主イエスのもとに案内しました。その時主イエスは「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」と語られました
(ヨハネ福音書12章20-24節)。これはアンデレの異邦人伝道を意味します。

アンデレは主イエス様に愛されました。兄のシモンにくらべて控え目の性格でした。だれが弟子たちの中で一番高い地位を得るのかということなどに気にかけない人でした。イスカリオテのユダのようにねたむことをしない人でした。ヨハネのように怒りをすぐに現わすい人ではありませんでした。彼の望みは主イエス様の近くにいることであり、一人でも多くの人を主イエス様のもとへ案内することでした。なぜなら、主イエス様は真理を、真の救いを求めてくる人を決して拒絶なさらない方と知っていたからでした。

伝説によると、アンデレは黒海の北部に出かけ、野蛮な民スクラヤ人に伝道しました。現在はロシヤの領域なので、ロシヤの守護聖人として知られています。殉教したのはギリシャのアカヤ地方のパトラスという町でした。死ぬ前に主イエスと同じ形の十字架ではもったいないからX型の十字架にかけて欲しいと願って死んでゆきました。アンデレはギリシャの守護聖人でもあるのです。

反ヒットラー闘争を展開したドイツのミュラー牧師は、神の審判を受けるヒットラーの夢を見て、ヒットラーが「誰も私にイエス・キリストの福音を語ってくれなかった!」と叫ぶ情景で目を覚まし、第二次世界大戦後、他宗教、無神論者との対話を展開し、人々を主イエスのもとへ案内する人に変えられました。

 あなたも人々を主イエスのもとへ、教会へと案内することができます。

(文中の聖書の言葉は日本聖書協会口語訳によるものです。)

 













 

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