牧師からあなたへのメッセージ     



Short Message 27
 
なぜ神は人となられたのか?(その1)
 

 私はこんな話を聞いたことがあります。

ある土地に、数百匹の羊を所有している人がいました。その人のもとで働く羊飼いがいて、朝になると羊の群れを連れて野原に行き、夕暮れになると連れ帰っていました。ある日の夕刻、羊飼いは三匹の羊がいないことに気が付きました。主人は羊飼いに羊を捜してくるように言いましたが、彼らは野獣に襲われることを恐れて行こうとはしませんでした。主人は羊をとても愛していましたので、行方の分からなくなった羊を救おうと決心しました。しかし、羊たちは羊飼いのことを良く知っていますが、主人のことは知りません。

 

主人は羊の皮を出して身にまとい、羊のような姿になって、羊たちを捜しに出かけました。やがて、ある羊は迷い、ある羊は傷ついているのを見出しました。羊は自分たちのような姿をしている羊だと思って、後に従って来ました。主人は羊たちを連れ帰った後に、羊の皮を脱ぎました。いまや羊ではない人間がいます。羊たちを救うために主人は羊の姿を取ったのです。

 

それと同じように、天地万物、人間を創造された神は人ではありません。しかし、神のもとを離れ、迷い、傷ついている魂を救い出すために、神は人となられたのです。

 
なぜ神は人となられたのか?(その2)

 インドの霊的伝道者、サンダー・シング師の体験談です。ヒマラヤでストレジ河を渡ろうと思ったのですが橋が無くて渡ることが出来ません。一人の人が来ましたので、「この河を渡りたくても橋も舟もなく困っているのです」と語りますと、その人曰く、「大丈夫です。丁度風向きが良いので、空気があなたを向こう岸へと渡してくれます。」シング師が驚いていますと、その人は獣の皮袋を一つ取り出して、その中に空気を吹き入れ、満たしたのです。そして、その皮袋の上にすがるように言いました。シング師は皮袋にすがって易々と河を渡ることが出来ました。

 

 サンダー・シング師は、自分の体験から貴重な知恵を得ました。無尽蔵の空気が皮袋に閉じ込められることによって、シング師を運ぶことが出来たように、永遠無限の神はこの世の河を横切って天国に達しようと願う者を天国に運ぶために、ご自身を人間の肉体と言う有限な体に閉じ込め、人を救おうとなさったと悟ったのです。神学的用語で、神が人間となられたことを「受肉」と言います。受肉は神の愛の現れです。

イエス・キリストは語ります。「わたしを見た者は父を見たのである。」(ヨハネ福音書14章9節)。サンダー・シング師は、「私たちはイエス・キリストの受肉の中に、生ける父なる神を見ることが出来る」と語ります

 













 

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