牧師からあなたへのメッセージ     



Short Message 26 善人と悪人に臨む苦しみはどのように違うのか?

   使徒パウロは、コリント教会の信徒に宛てた第二の手紙4章8−9節の中で、「
私たちは四方から患難を受けても窮しない。途方に暮れても行き詰まるらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。」(聖書協会口語訳)と述べています。神に選び分かたれ、福音伝道者として大きく用いられた人でも、患難を受け、途方に暮れ、迫害に会い、倒される苦しみに遭ったのです。神に愛された人でも、信仰に生きる善人でも苦しみが臨んでくるのです。患難、苦難が、善人にも悪人にも等しく臨んで来るのですが、両者の間にどのような違いがあるのでしょうか?

4世紀から5世紀にかけて活躍したカトリック神学者、アウレリウス・アウグスティヌス(A.D.354−430)の考えに耳を傾けましょう。「善人も悪人も等しく苦しむのであるが、両者共に苦しみを受けることでは違いはないが、両者の間に、何の違いもないということはない。苦しみは似ていても、苦しむ者は似ていない。」

「同じ不幸の衝撃であっても、それは善人をためし、清め、選別するが、不幸の衝撃は悪人にとっては、罰であり、混乱を意味し、自ら滅びゆくのである。したがって、問題はどんな苦しみを苦しむかということではなく、どんな人が苦しむかということである。同じ動作であっても、汚物をかき回せば、いやな臭いがするのに、香料をかき回せば、良い香りを発するのである。同じ火によっても金は赤く輝くのに、わらは煙を出すのと同じように、苦しみの中で、善人と悪人は、それぞれ違った反応を示すのである。」

この言葉は、アウグスティヌスの著作、『神の国』の中で述べられているのですが、深い洞察に基づく考えですね。

    

 













 

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