牧師からあなたへのメッセージ     



Short Message 21 現代人へのグッドニュース(その2)

魂の闇から救われる道 

「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから―この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである。」(ローマ人への手紙1章1―4節、口語訳)


魂の闇
 あなたは自分の魂に暗い闇を感じたことはありませんか?聖書は死に至る病に冒された魂を「闇に支配された魂」と呼びます。闇とは失望を意味します。それがもっと深刻になると絶望となります。闇には希望の光が射し込まないのです。絶望は真っ暗やみの状態です。闇を生み出すものは人間全てに宿る悪へと傾いてゆく罪の力です。罪から諸々の悪が生まれてきました。

使徒パウロは人間の心から生まれてくる悪のカタログをローマの信徒への手紙1章の中で述べています。「彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また讒言する者、そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。彼らは、こうしたことを行う者どもは死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりか、それを行う者どもを是認さえしている。」(29−32節)。人間は悪を重ねて悲しくも絶望へとたどり着く存在でしかないのでしょうか?この問題においてもイエス・キリストは現代人のとっても福音なのです。
 
聖書は「全ての人を照らすまことの光があって世にきた」(ヨハネ福音書1:9)と語ります。イエス様は次のように言われました。「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、闇のうちを歩くことがなく、命に光をもつであろう。」(ヨハネ福音書8:12)

 炭鉱の爆発事故で暗い坑道の中に閉じ込められてしまい、救援隊の救出を待つ者にとって、救い出されて光の世界に帰るということは大きな喜びです。「お−い、君たちは無事か!もう直ぐ救い出すから、頑張るのだぞ!」という励ましの声はgood newsです。自分は助かるのだ!という喜びが胸の中に溢れることでしょう。イエス様の私たちに対する言葉は、自分の魂の闇をよく知っている者にとっては、同じようにグッドニュースなのです。失望の闇から希望の光の世界に連れ帰していただける約束の嬉しい呼びかけなのです。

聖書は「兄弟を憎む者は闇の中にいる」と語ります。憎しみは魂に闇を形成するのです。使徒パウロは、クリスチャンを憎む魂の闇を自分の内側に抱えつつ、迫害に息をはずませながらダマスコに向かいました。その途上で、復活された主イエスに出会い、次のような語りかけを聞きます。「わたしはあなたが迫害しているイエスである。…わたしがあなたに現われたのは、あなたをユダヤの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。それは、彼らの目を開いて闇から光りに、サタン(悪魔)の支配から神のみもとに立ち帰らせ、彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖別された人々に加わるためである」(使徒行伝26:15−18)。

パウロの魂の闇はイエス様の光によって照らし出され、彼の罪が顕わにされ、心の目が開かれ、悔い改めて、闇から光の世界へ、サタンの支配から神の支配下に立ち帰ることが出来たのです。彼はイエス様から命の光をいただいたのです。この事はパウロにとって素晴らしい出来事でした。ですから、パウロはイエス様が自分にとっての福音であり、全ての人への福音であると語るのです。私の魂の闇もイエス様と出会うことにより光に照らし出され、悔い改めて、私の魂はサタンの支配から神の光の支配へと移されたのです。闇から光へと救いだされる恵みは、あなたも信じる時に与えられます。

 私たちは自分の信仰の弱さを知っています。イエス様の弟子たちがそうでした。その弟子たちの信仰がなくならないように祈られるのはイエス様なのです。イエス様は弟子ペテロに言われました。「シモン・ペテロ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰が無くならないように、あなたのために祈った。」(ルカによる福音書22:31−32)。

 ペテロはふるいにかけられ、信仰の試験に見事落第してしまいました。それでも、イエス様の祈りによって支えられ、立ち直りました。そして、信仰の弱いクリスチャンたちを力づける人となりました。彼は人一倍自分の弱さを知っていましたから、弱い人々を助けることが出来たのです。

私たちも信仰が試され、ふるいにかけられるのです。そして、幾度もふるいから落ちそうになる自分を発見します。時には落ちてしまい、信仰者として失格である自分を知らされます。そして、自己嫌悪に陥ります。しかし、イエス様はそんな私たちを見捨てることはなさいません。忍耐強く、私たちのために祈り続けて下さるのです。

ヘブル人への手紙は次のように語ります。「私たちには大祭司なる神の子イエスがいますのであるから私たちの告白する信仰を堅く守ろうではないか。この大祭司は、私たちの弱さを思いやることの出来ないような方ではない。罪は犯されなかったが、全てのことについて、私たちと同じように試練に会われたのである。だから、私たちは憐れみを受け、また恵みにあずかって、時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」(4章15−16節)。

イエス様を信じ、魂の闇から救い出され、希望の光で生きるように、あなたも招かれています。

 















 

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