牧師からあなたへのメッセージ     



Short Message 20 現代人へのグッドニュース(その1)

魂の渇きから救われる道

はじめに 〜人間の本質は変わらない〜
 主イエス・キリストに関する福音が、2000年前に、ユダヤ人、ギリシャ人、ロ−マ人たちにとって、素晴らしい福音(good news)であったなら、21世紀に生きる私たちにとっても福音のはずです。なぜなら、私たち日本人も同じ人間だからです。人間は人種、肌の色、話す言葉、性格が異なっていても、生まれた時代が違っていても、人間であるという本質は変わりません。人間として多くの共通点を持っています。

2000年前に較べて現代人の知識内容が増大し、科学も大きく進歩しました。しかし、人間の根本的性質は変わってはいません。人間はみな愛されることを欲し、真実を求め、裏切られると怒り失望し、孤独や孤立に寂しさを覚え、重い病気になると不安を感じるのです。人生という一回限りの旅路を歩みながら、人は喜んだり、悲しんだり、悩んだり、苦しんだりしながら生きてゆく存在であることは、昔も今も変わらないのです。

魂の渇き
 あなたは魂の渇きを感じたことがありませんか?どんな時に感じましたか?人間は人と人との関係の中でしか生きてゆけません。互いに愛し合い、理解し合い、信頼し合い、助け合う関係であれば、人は魂の渇きを感じないはずです。しかし、互いに愛し合えず、理解し合えず、信頼し合えず、助け合えない関係であれば、人は魂の渇きを感じるのです。なぜなら、人間は愛、理解、信頼、助け合いによって、魂が潤されるように造られているからです。

その反対の状態にあると魂は渇くのです。渇き以上に悲しい魂の状態は脱水状態です。のどの渇きが癒されないまま、水を飲まないでいると脱水状態から死の危険が迫ってきますように、魂の脱水状態とは、憎しみ、理解の拒否、不信頼、見捨てるという悪が魂の中に生み出されている状態です。その状態を魂が「死に至る病」を患うというのです。魂の死という危険が迫ってきている状態です。死に至る病に罹ると、激しい憎悪に基づく殺意、殺人にまで及ぶ恐ろしい魂の闇が支配するようになります。渇きから脱水状態、そして闇へと魂が移行すると、そこにはもはや希望の光が差し込まないのです。地獄的暗闇の状態、絶望のみが存在するようになります。
 
現代では、地獄の暗黒に生きている魂が自爆テロ者の中に見られます。彼らは連日のように憎しみによるテロを起して、多くの死傷者を生み出しています。平和共存は無く、敵とみなす相手は唯殺すのみなのです。カトリックの作家、高橋たか子さんは「人間の心の奥深くに“マグマ溜り”があって、マグマが吹き上げて来る時、意志の力では抑えきれない魔力が姿を現す」註@と語っています。世界のあちこちでマグマが吹き出ています。 日本でも自殺、殺人、飲酒運転事故、虐待によって人の命が奪われてゆくことが連日続いています。止めようとしても意志の力ではどうしようもない魔の力が強く働いています。世界に愛が冷えてゆき、悪魔たちが人間を苦しめ、人間の堕落を喜んでいます。
 
人間はどうしてこのような悲しい下降を辿らなければならないのでしょうか?人間は地獄の暗やみへと行き着くのが運命的定めなのでしょうか?昔から、世の多くの人々は、魂の渇きの中で、次第に心に闇が増し、平安と希望の光が消えてゆき、この世に存在する恐ろしい犯罪を見るにつけ、やりきれない悲しさが心に漂う中で、「人は岩が坂を転がり落ちるように、だんだんと悪へと傾き、堕落して、最後は罪悪の報いとしての死が臨み、全てが終るのか!」と考える時、「そんなはずがない!人間の本来あるべき状態へと復帰できる道はあるのではないか?」と尋ねてきたのです。

魂の渇きから救われる道
そのような疑問に対して、現代人に対してイエス・キリストは次のように語られました。「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも渇くことがないばかりか、わたしの与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き上がるであろう。」(ヨハネ福音書4:14)
「だれでも渇く者は、わたしのところへ来て飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹(魂)から活ける水が川となって流れ出るであろう。これは、イエスを信じる者が受けようとしている御霊(神の霊、聖霊)をさして言われたのである。」(ヨハネ福音書7:37−39)

 人間の魂の深刻な渇きを潤す水路が開かれたのです。その水路はイエス・キリストです。私たちがイエス・キリストを信じる時、魂を潤す水が川となって流れ入る体験を味わえるのです。ギラギラと太陽の光が照りつける砂漠の中で、喉が渇ききって水をあえぎ求める人のところに、水がたっぷり入った水筒を持った人が現われ、「さあ、水を飲みなさい」と言うのを聞いたならば、その言葉は嬉しくてたまらないグッドニュースのはずです。水筒の中に有るのは命の水と信じて受け、飲んだ人は渇きが癒されるのです。イエス・キリストも私たちの魂に、命の水を与えて下さいます。その水は、イエス様しか与えることができない霊的な水です。

 私たち人間は互いに愛し、理解し、信頼し、助け合うことによって、魂は潤います。その潤いには喜びが伴うものです。しかし、イエス様が与えて下さる水は霊的な水ですから、もっと質の高いものです。神の国において、天の霊界において与えられている水は、神様から流れ出る霊的な水ですから、「信じて受ける性質のもの」なのです。私たちは人からの好意を飲むとは言いません。受けると言うのです。イエス様が与えてくださる水は「信じる者が受けることができる御霊、即ち神の霊」なのです。イエス様が与えて下さる水は「永遠の命に至る水」です。

私はイエス様を父なる神様がこの世に遣わされた神の御子と信じた時に、約束の聖霊、御霊を受けました。その時、私の魂は潤いました。人間が与える愛の潤い以上の、大きな喜びに満たされる体験をし、魂は充足したのです。神の聖霊が私の魂に注がれて、私の中に愛、喜び、平安、寛容、善意、柔和、自制という実が結ばれることを体験しました。私が今も受けているこの恵み、このグッドニュースを一人でも多くの人に伝えて、私と同じような魂の潤いを、知って欲しいと願い、私は教会で語り続けてきました。イエス・キリストは人間が神によって創造された本来の状態を回復するためにこの世に来られたのです。イエス・キリストによって魂の渇きが根本的に癒されること、それが現代人への福音であることを知って下さい。

註@ 人間の心の奥深くに潜む「マグマ」(溶岩)については、高橋たか子著『「内なる城」について思うこと』(女子パウロ会、1992年)、159頁; 高橋たか子著『亡命者』(講談社、1995年)、43−46頁の中で述べられています。















 

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