牧師からあなたへのメッセージ     



Short Message 2 魂を蝕む罪の恐ろしさについて

 私たちがプールで水中に潜って泳いでいても、自分の上にある何トンという水の重さを感じません。しかし、プールの外に出てバケツで水を汲み、運びますと水はとても重く感じます。それと同じように、私たちが罪の生活の中で生きていると罪の重さを感じないのですが、罪の生活から離れると罪の重さを感じるようになるのです。従って、罪の生活から離れて初めて、自分がいかに罪深い存在であると感じるようになるのです。

 世の多くの人々は神の目に映る自分の魂がいかに暗く、汚れたものであるかを知らずに生活しています。それは澄んだ良心の目が濁ってしまい、罪の恐ろしさが見えなくなっているからです。水族館に行きますと盲目魚を見かけることがあります。深海の光の届かない暗い洞窟に長く住んでいるうちに、目の機能が退化し、やがて盲目になってしまったのです。それと同じように、悪の暗闇の中に長く留まっていますと、良心が次第に退化し、罪悪に対して鈍感になって行くのです。

 生まれたばかりの新生児はみな、罪悪を知りません。しかし、成長する過程で次第に悪の知識を吸収し、悪いことはしてはいけないと思いながら、思いに反して悪を行ってしまします。悪が重なるうちに清らかな魂はしみを増し、汚れが染みこんで霊的人格は少しずつ濁ったものとなってゆきます。

 西洋のことわざに、「悪魔は四つの言葉で人を悪に導く」とあります。すなわち、「誰でもすることだから」、「小さなことだから」、「唯一度だけだから」、「まだ先が長いから」という四つの言葉で人は悪に誘惑されるというのです。アルコール中毒患者、麻薬中毒で苦しんでいる人々、また刑務所で灰色の生活を送っている人々は、この四つの言葉の中の一つに負けて、悲哀と苦悩への一歩を踏み出したのです。人の堕落は小さな悪の実行から始まるのですから、注意が肝要です。

 昔、石川五右衛門が自分の子、五郎市と一緒に七条河原で釜ゆでの刑に服した時、「盗みの元は嘘より起こり、嘘は不品行を隠すため、やがて色恋に狂って、ばくち、ギャンブルに溺れ、借金に追われてつい手が動き、親の物、他人の物と盗んでいるうちに仲間が加わり、三人五人と枝葉がつき、止めようと思ってもやめられず、坂を車が下るように悪への思いは先立って、それを止めようとする心は後になり、今は遅き釜ゆでの刑、わが身ばかりか、息子までにも苦痛を与える親の悲しさ。全く面目なし」と泣いて、罪を悔いたという講壇調の話が残っています。













 

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