牧師からあなたへのメッセージ     



Short Message 16

 魂をむしばむ罪の恐ろしさについて(その2)

  罪の力は少しずつガン細胞のように人の心をむしばみ、魂を破滅へと導いてゆくのです。着物を着る人はみな知っていますが、小さな塵くずがいつの間にか積って「たもとくず」ができます。手洗い所にかけてあるタオルは、家の人が気がつかぬ間に汚れてゆきますが、それは日々ほんの少しずつ汚れてゆくので気がつかないのです。でも新しいタオルと並べてみますと明らかに汚れているのです。これと同じ様に、罪は少しずつ人の気づかぬように魂を汚し、死後、霊界の暗い魂の群れに導こうとして働きます。人が一度天然痘にかかりますと、たとい直ったとしても、人の顔をあばたの醜い顔にしてしまいます様に、罪は人の心に感染して霊魂を醜い、汚れてものにし、最後には神の聖なる国には行けない者にしてしまうのです。                       
ローマ人への手紙7章1-24節までを読みますと、使徒パウロは自分が善くありたいという心や意志に反して、悪を行う恐ろしい憎むべき力が自分の中に存在していると語っています。パウロはこの悪を促す力を罪と呼んでいます。そして欲しない悪を行ってしまう自分は惨めだと告白しています。また自分は罪の力の下に奴隷の様に捕らわれている情けない者だと述べています。                            
 昔、中国の学者、王陽明は「山中の賊を破ることは易しいが、心中の賊を破ることは難しい」と述べ、ロシヤのペートル大帝は「私はロシヤを統べ治めることは出来るが、自分の心を統べ治めることは出来ない」と語りました。古今東西、世の多くの人々は、老若男女を問わず、自分の弱さを嘆きつつ、徐々に罪とがのしみが増し、魂が汚れてゆくのを知りつつもどうにもならず、自分の意思の力ではどうしても罪の力に勝てない悲しさを味わって生きてきたのです。                           
自分の惨めさを告白したパウロは、「主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな!」と神を賛美しています。パウロは罪の力に勝利しうる唯一つの道を神の恵みの力に見出したのです。罪への勝利という恵みにあずかる第一の条件は悔い改めと信仰です。渋柿の皮をむいて太陽の光にさらしておきますと、渋みは取れて甘い干し柿となります。同じ様に罪を悔いて神の前に赦しを乞い、神の恵みの光を拒んでいた過去の心の皮を取り去り、信仰により心の暗闇に恵みの光、神の愛の感化を受け続けますならば、罪の渋い人格は、次第に人に愛される甘い人格となり、罪赦された神の子となるのです。
    
第二の条件は罪を清める神の聖なる霊を受けることです。炭はどんなに水で洗っても 白くはなりません。しかし、火の中に入れますと黒い色は消えて、白赤色に輝きます。それと同じ様に、私たちが神の聖霊の火を受けますと、人の罪を焼き尽くしてゆく聖霊の炎は、罪を清めて私たちが神の清さを輝かすように変えて下さるのです。火が消えますと不完全燃焼の炭はもとの黒さにかえりますが、完全燃焼した炭は白い灰となります。罪への勝利の道は、罪が完全にその力を失ってしまうまでに、神の聖霊に働いていただくことです。                                      
四世紀から五世紀にかけて活躍した神学者アウグスティヌスは、「取って読め、取って読め」という神の促しをうけ、聖書を取り上げて開いてみますと、次の様な言葉が心に強く突き刺さりました。「夜は更け、日が近づいている。それだから、わたしたちは、闇のわざを捨てて、光の武具を着ようではないか。そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがたは、主イエスを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。」(ローマ人への手紙13章12―14節)アウグスティヌスは心から悔い改めて、神の憐れみを祈り、神の霊の助けを借りて、罪の力に勝利し、その生涯を神の御用のために捧げ尽くしたのです。

使徒パウウロはガラテヤ教会の人々に語りました。「御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。もし、わたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。」(ガラテヤ人への手紙5章16、26節)
註 文中の聖句の引用は、口語訳聖書からのものです。        















 

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