憎しみからの解放〜渡辺和子先生の場合〜     



Message 6             斎藤剛毅


あけましておめでとうございます。
 新しい年を元気にお迎えになりましたか? あなたへのメッセージを5回読んでくださり有難うございました。これからの5回のメッセージは、心深く根を張る憎しみ、体を蝕む不治の病、悲惨で絶望的な捕虜生活、恒常的洪水と貧困、キリスト信仰へ拷問の苦痛に対する神の沈黙。このような問題にどのような解決の道が開かれたかを語ります。Short Messageは諸事情により、2011年は載せることが出来なくなりました。悪しからずご了承ください。あなたとあなたのご家族の上に神様の祝福を祈ります。



憎しみからの解放〜渡辺和子先生の場合〜

聖書の言葉
 あなたを創造された主なる神はこう言われる。あなたはわが目に尊く重んぜられる者、わたしはあなたを愛する。(イザヤ書43章1、4節)

 今月はノートルダム清心学園の理事長をしておられる渡辺和子先生のお話をします。2004年に77歳になり、喜寿を祝われた先生の講演を私は夏に聴いたのですが、柔和なお人柄で、優しさ溢れる微笑は人の心をなごませる魅力あるものでした。お父様は1936年の2・26事件の反乱おりに、青年将校たちによって銃殺された教育総監、今でいう文部科学大臣でありました。即ち渡辺錠太郎氏が父上であります。
 その渡辺和子先生が若き14,5歳の頃、「和子さんは鬼みたい」とクラスの仲間から言われても、返す言葉がないほどに自分は冷たく、高慢しかも我の強い人間だった」と対談で語っておられるのです。「人が見る自分、それは鬼のような冷たい心を持った人」という評価でした。何故そのような評価を受、本当は生まれてこなかったほうが良かった自分なのだという自己評価が渡辺和子さんの心に定着してしまい、生きてゆくことが空しく、親から心から期待され、望まれて生けるようになったのでしょうか?それは、18歳の頃にはっきりしてくるのですが、自分の心の中に母親への憎しみがだんだんと強く育っていたからだと分析しておられるのです。
母親への憎しみの根っこにあったものは何であったのでしょうか?それは44歳になって自分を身篭ってしまった母親は、既に三人の子供が生まれていたこともあって、本当は自分を産みたくなかったという母親の心を感じ取ってしまったからなのです。ですから、「生まれてきてすみません」という負い目をもってしまってまれてこなかったという悔しさ、親への恨みすら重なって、自分でさえおぞましく感じる母親への憎しみが彼女を苦しめたのです。
 そんな悩みを抱いている人はこの世の中に結構いるのです、2歳になる弟が道端に置き去りにされ、姉の自分だけが手を引かれて日本に帰って来た後、母親に対する強い不信感を抱いてしまい、苦しんでいる一人の女性が登場します。「自分も。幼児期から母親に虐待され、暴力を身に受けて育った人の心には母親を愛せない傷が深く残っています。三浦綾子さんの著書『光あるうちに』の中に、戦後満州からの引き上げの際に捨てられてしまったかもしれないのだ!自分も捨てられたかもしれない価値の無い存在だ」という思いを引きずっているのです。
 渡辺和子さんはカトリックの清心女子短期大学で学んでいましたので、修道女に出会う機会があったのです。そして、自分の母親に対する憎しみを語り、悩みを訴えました。その時、修道女は言いました。「あなたは自分のことしか考えていませんね。お母さんの身にもなってみなさい」と。和子さんは母親の立場になって考えることは全くなかった自分にはっと気づかされました。一方的に母を恨み、憎んでいた自分を反省し、悔い改めました。1945年の4月、東京が連日連夜、空襲を受けていた時でした。そして、聖書を真面目に読み始めて、イザヤ書43章4節の言葉に出会ったのです。
あなたを創造された主なる神はこう言われる。あなたはわが目に尊く、
重んぜられる者、わたしはあなたを愛する。(イザヤ書43章1、4節)
この言葉は和子さんの心に光を放ち、憎しみと恨みから解き放ち、自由にしたのです。「自分は母親から望まれることなく生まれてきたと、勝手に思い込んで、母を憎んできたが、自分の本当の生命の生み親は天地の造り主なる神様なんだ!私は神様から愛されている。神様は自分の存在を価値ある尊いとおっしゃって下さる。自分は神の手の中の宝石のように尊い存在なのだ!」ということを悟って和子さんは、はじめて自分の存在価値を神の愛の中に見出すことが出来たのです。母親への憎しみから自由にされた和子さんは、洗礼を受けてクリスチャンになりました。18歳、大学1年生のときです。

 私からのメッセージを読んでおられる方の中に、人を愛せず、自分を批判的に見ていると思う人を憎んでしまう自分に悩んでいる方はいませんか?自分の嫌な欠点や弱点を見つめて、自分を愛せずに苦しんでいる人がいませんか?あの人も嫌い、自分も嫌い。(You are not OK, and I am not OK.)生きれいくのもやりきれないと考えている方はいませんか?
 そのように自分を愛せない、自分を受け入れられないと、自分を持て余して人に、キリストの父なる神様は渡辺和子さんに語ったと同じ言葉をおっしゃいます。「わたしはあなたがどんな欠点を持って悩んでいても、劣等感で苦しんでいても、ありのままのあなたを愛している。あなたの周囲の人たちが、あなたのことをどんなに悪く評価しようとも、わたしの目にあなたは、高価な宝石のように尊く、価値がある存在である。このことを信じて、悩みから自由になりなさい。」
 ありのままの自分を受け入れ、愛して下さる神様の愛が分かると、あなたはI am OKと自分を受け入れることができるようになるのです。その時、自己嫌悪から解き放たれて自由になるのです。
 渡辺和子さんはおっしゃいます。「人一倍気象の激しい自分にとっては、人を赦すことは難しいことでした。そんな罪深い自分を赦して下さり、自分を決して裏切ることなく、見捨てることもなさらないイエス・キリスト様を人生の同伴者として一生信じて生きたいと思っています。」渡辺和子さんはイエス・キリストと共に歩み、赦しの心をいただき、生きてゆく時に、憎しみからも自由になると、愛と赦しをイエス様から受け続けてゆくことに希望を抱いているのです。
 今まで受け入れられなかった自分を受けいれるということは、神様の愛を信じ、受け入れ続けるということによって可能となります。神様を信じても私たちは何度も失敗します。時には誘惑に負けます。自分の欠点が直ぐには直らず、嫌になることがしばしば訪れます。それでも私たちが粘り強く祈り続ける限り、神の愛を受け入れ信じ続ける限り、神様は忍耐強く私たちを導いて下さいます。神様は少しずつ私たちの心を清めて下さいます。時には激しい試練を通して私たちの自我を砕いてくださいます。神様は偉大な教育者です。愛の鞭を持って私たちを訓練し、神様の御用に役立つ者へと変えて下さいます。神様はあなたを尊い神の子として愛し続けて下さいます。神様の価値ある宝石のようにあなたを考えて下さる神様を信じ、受け入れるとき、あなたは虚無感、劣等感、自己嫌悪感から自由にされることを知って下さい。
イエス様の弟子ヨハネは語ります。「あなたが神を愛したのではなく、先ず神があなたを愛したのです。ここに愛があります。」(ヨハネ第一の手紙4章10節)













 

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