闇は去り、光が輝いている     



Message 5(クリスマス・メッセージ)             斎藤剛毅

1.明治22年に暗殺された文部大臣、森有礼の孫、森有正は東大で17世紀のフランス哲学思想を教えていましたが、パリへ渡り、研究と著作の生活に入り、ドストエフスキーの研究で深い洞察を示した思想家でありましたが、クリスチャンとしてのエッセーの中で、次のように述べています。「人間という者は心の隅にどうしても人に知らせることができないものを持っています。醜い考えがありますし、また秘密の考えがあります。また密かな欲望があります。恥ずかしい他人に知らせることの出来ないものがあります。・・・そして実は人はそこでしか神様にお目にかかれないのです。人にも言えず、親にも言えず、先生にも言えず、自分だけで悩んでいる。またそれを恥じている。そしてそこでしか人間は神様に会うことはできないのです。」

2.1996年の9月29日、肺炎による心不全のために亡った遠藤周作さんも、自分の心に留まり続ける罪責感について語っています。「自分は決して悪意でしたのではないのに、ある人の人生を横切ってしまった。その結果、その人の人生の方向を大きくゆがめてしまった。自分のその人の人生を横切ってしまったゆえの罪に対して、夜中に目を覚まして、その時のことを思い出す時、思わず、神様!赦して下さい!と祈る」と語っています。

3.森有正も遠藤周作も自分が過去に犯してしまった人に言えない罪の闇を自覚しています。そして、うめき、赦しを求めて祈り、そこで赦しの愛なる神に出会った体験を語っています。Tヨハネ2:8が語っている言葉、「闇が去って、まことの光が輝いている」は、我が身において現実に起ったという証しが語られています。神との出会いは罪の赦しと深い関係があります。神と出会うと罪責の闇は光の中でその力を失ってゆくのです。

4.ヨハネは「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、闇の中にいるのであると語ります。憎しみは愛の反対であり、闇を形づくる罪の一つです。クリスチャンになっても愛せない人に出会います。魂を暗くする憎しみや拒否感情が生じて、私たちを悩ませることがあります。カトリックの作家、高橋たか子さんは、人間の心の奥に「マグマ(熔岩)だまり」があって、突然活動を開始して、心をふるわせながら、意志の岩盤も熔かして爆発的に現われる時があると語っています。マグマとは、怒り、憎しみ、敵対心、激しい執着、情欲などを意味します。マグマが活動し始める時、人は真剣に祈って、神の助けを求めないとマグマの力に負けてしまいます。祈り続けるとマグマの活動は弱められてゆきます。闇は光に勝つことはできません。
                                    
5.アメリカの1960年代に人種差別に反対して非暴力抵抗運動を行ったマーティン・ルーサー・キング牧師は、一部の白人たちの激しい憎しみと暴力をくりかえし受けながら、暴力に対して暴力をもって報いず、憎しみに対して愛をもって毅然として立ち向かい、次のように語りました。

@ 憎しみに対して憎しみをもって報いることは憎しみを増すことだ。星のない闇になお深い暗黒を加えることだ。
A 憎しみは魂に深い傷跡を残し、人格をゆがめてしまう。
B そして、愛は敵を友人に変えてしまう唯一の力だ。
キング牧師は白人の過去の罪を赦し、未来も赦し続ける勇気の必要を説き、憎しみの闇に愛と赦しの光を照らし続ける必要を説きつつ、凶弾に倒れました。キング牧師の犠牲によって、白人による人種差別の闇は弱められてゆきました。

6.チェスタートンの小説にこんな話があります。ある将校が戦場で重傷を負いました。でも苦しみに耐えて死を克服したのは心から愛していた妻がいたからです。やっとの思いで家に帰りました。ところが悲しいかな!妻は夫が戦地で戦っていた間に不倫の罪を犯していたのです。もはや妻の中に愛を見出せなくなった彼はあっけなく死んでしまいました。愛の共感、それは死に打ち勝つほどの力ともなりますが、愛を見出せなくなると、人は戦場の勇者であっても、これほど弱い者になってしまうのです。

7.イエス・キリストによって示された光なる神は、全ての人を愛することによって、魂の闇を光に変えようとなさる方です。しかし、私たちが神の愛を見出せないと、神の愛は私たちにとってとても弱いものになってしまうのです。あなたが心の扉を神の愛に向けて開く時、あなたの心の闇は消え、あなたの心に神の御子イエス・キリストが誕生するのです。

8.ヨハネは新しい真理を語ります。それは「闇が過ぎ去り、まことの光がすでに輝いている」(2章8節)ということです。それは私たちに語られています。信仰とはすでに輝いている光、闇に打ち克つ力をもつ光なる神を信じ、心に神の愛の光を受け続けることなのです。今日も、明日も、永遠に受け続けることなのです。受け続けることにより光の子となるのです。

9.だからヨハネは語ります。「兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩くのであって、自分はどこに行くのか分からない。闇が彼の目を見えなくしたからである。」(2章11節) 憎しみという闇が私たちに近づいてきた時、私たちはイエス・キリストという光の港に避難しましょう。光は必ず闇に打ち克つのです。                       
                                     
10.「愛する者たちよ。わたしがあなたがたに書き送るのは、新しい戒めではなく、あなたがたが初めから受けていた古い戒めである。その古い戒めとは、あなたがたがすでに聞いた御言である。しかも、新しい戒めをあなたがたに書き送るのである。そして、それは、かれ(キリスト)にとっても、あなたがたにとっても、真理なのである。なぜなら、闇は過ぎ去り、まことの光が輝いているからである。「光の中にいると」と言いながら、兄弟を憎む者は、今なお、闇の中にいるのである。兄弟を愛する者は、光におるのであって、つまずくことはない。兄弟を憎む者は、闇の中におり、闇の中を歩くのであって、自分はどこへ行くのかわからない。闇が彼の目を見えなくしたからである。」(ヨハネの第一の手紙2章7−11節)













 

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