マリヤの妊娠とヨセフの苦悩     



Message 4(クリスマス・メッセージ)             斎藤剛毅

 キリスト誕生の物語は、聖人の生涯につきものの聖人伝説として取り扱う聖書学者もおりますが、それではキリスト誕生の記事の背後にある神秘とロマンは切り捨てられてしまいます。今日は人間の感性と想像力を取り入れながら、お話さていただきます。
 マタイによる福音書1章18−19節を読みます。このわずか数行の中に、私はヨセフの苦悩を読み取ることが出来ると思います。 婚約者マリヤの妊娠告白。
他の男性との関係で出来た子供ではなく、神の聖霊の力によって子供が胎に宿ったというとても信じられない告白に、ヨハネはマリヤに裏切られたという思いに苦しめられたことでしょう。妊娠の事実が公になれば、マリヤは姦淫の罪に問われますし、また自分の潔癖を貫くためには密かに婚約破棄する以外ないと決心したのです。

 期待していた夢が破られ、突然苦悩の中に突き落とされてしまう体験者はこの世に意外と多いものです。西南学院中高の元校長、山田豊秋先生は愛する妻を襲った病気ゆえに、深刻な苦悩を体験した人でした。終戦後の1948年、山田先生は四国の坂出で中学の先生をしておられましたが、奥様が4人目の子供を出産した後に、発熱が続き、開放性結核と診断され、主治医の奨めで空気のきれいな田舎で療養することになり、奥様の実家のある宮崎県穂北に引っ越しました。穂北の中学に職を得たものの、山田先生の心には憤懣やりきれない思いが渦巻いておりました。
 「37人の教職員の内、自分ほど不幸な者がいるだろうか」。学校から帰って塾で書道を教え、ガリ版印刷の内職、時には炊事、洗濯、裁縫をし、夜遅くに妻が痰つぼに吐いた痰を庭に穴を掘って捨てる。「自分には希望というものがなくなってしまった」と書いておられます。

 その頃、宮崎の高鍋教会で牧師をしておられた保田井善吉先生が、穂北でも家庭集会を持たれるようになり、中武さんという熱心なクリスチャン夫人と共に山田先生の奥様を見舞われるようになったのです。そして、1950年の12月に奥様は病床で信仰告白をし、クリスチャンになりました。クリスチャンになられてからの奥様はいつも明るい顔をしているのが不思議でした。そして長い間、見舞いを継続し、励まし続けられる牧師の熱意はどこから生まれるのかと思っていたときに、
保田井善吉先生から聖書をプレゼントされ、読み始めたのでした。

 ある日、山田先生は奥様の部屋に入ろうとして、泣きながら語る妻の声を耳にして、その場で釘付けになってしまいました。「先生、私はこんなになってしまって、もう生きるのが耐えられません。毎日が苦しくて、ただ寝ているだけで、夫や両親や姉の重荷になっていると思うと早く死にたいと思うのです。死んだほうが私も皆も楽になることでしょう。」
来客は保田井善吉先生でした。「奥さん、生きる、死ぬということは私たちの手の中には無いのです。あなたの人生はあなたのもののようですが、そうではありません。それは神様の御手の中にあるのです。あなたの地上でのご用が終わらないうちは、いくらあなたが死にたいと願っても、神様はお召しにはなりません。全てを神様にお委ねして一生懸命に生きることを考えて下さい。 あなたは何も出来ないと言われましたが、そうでしょうか。ただ寝ているだけのように見えますが、沢山のことをしておられるではありませんか。あなたはいつもご主人や子供のためにお祈りしているでしょう。私にはそれがよく分かります。また寝ていながら、母親でなければ気のつかないことを、色々と細かい配慮によって、自分は出来なくても人にお願いしているではありませんか。お子さんたちにとってあなたはかけがえの無い母親です。みんなはあなたが寝ているだけでも生きていて欲しいと願っているのです。元気を出してください。生きることを考えてください。」

 保田井先生は静かに諄諄と話しておられました。部屋に入りかねていた先生は、たまりかねてその場を立ち去りましたが、拭っても拭っても拭いきれない涙をどうすることも出来ませんでした。「これが我が妻の毎日だったのか。それとも知らず私は何といううつけものだったのだろう」と自分に腹が立って悲しくなりました。妻の深い悲しみ、限りない寂しさと耐えられない苦痛の中にあって、私たちにそれを見せまいと明るく振舞い、内なる闘いを続けながら、来る日もくる日も、天井をみつめて耐えていた妻。その病み衰えた体は更に細くなってゆく。主イエス様にただ一途に頼り、そのお導きに従おうと、僅かに残されている消えそうな炎をかき立てつつ生きる妻の命のいとおしさを思い、本当にすまないと思ったのでした。
山田先生は書いておられます。

 「私は何と自分本位であり、自分ばかりが苦しみ、力一杯生きているんだという傲慢さと愚かさに、居ても立ってもおられない気持ちでありました。私は妻に本当に申し訳ない夫であったと、悔い改めたのでした。暫くして妻の部屋に入り、心の底から「悪かった」と謝り、妻に詫びたのでした。」山田先生の心に大きな変化が生じました。何日かして奥様が「お父さん、バプテスマを受けるんですってね。祈っておりました。本当によかったですね。お父さん、大変でしょうけど元気を出してくださいね」と言って、奥様の目尻から涙が溢れ出て流れたのでした。@

  山田先生の心の闇は神の愛の光によって消え去り、自分ほど不幸なものはないと考えていた自己理解は無くなり、神の愛の中で、重荷を負って生きる、ありのままの自分を受け入れることが出来るようになりました。また病む妻を受け入れ、愛したのです。山田先生の心にキリストが誕生しました。そして、クリスマスが意味ある日として山田先生に訪れたのでした。先生は後に西南学院の中高校長として招かれ、熱心なクリスチャンとして生徒たちの教育に打ち込まれ、『信仰の遺産』という書物を書き残して天に召されました。

 ヨセフも苦悩の中で夢を見て、天使の語りかけを聞いて目が覚め、マリヤの苦しみを自分のものとして受け入れて、結婚し、そのことによってキリストに仕えたのです。

 人生の途上で訪れる数々の苦しみと試練によって、私たちは鍛えられてゆきます。試練の背後に、父なる神の愛のまなざしを信じられる人は幸いです。神の御子キリストご自身が大きな苦しみを耐え抜かれて、地上での使命を全うされたことを知りましょう。

註@ 山田豊秋著『信仰の遺産』、(ヨルダン社、1978年)、85−99頁参照。













 

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