牧師からあなたへのメッセージ     



Message 3 それでも人生にイエスと言う〜ヴィクター・フランクルの場合〜


  わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。
  なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、
  わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
  わが神よ、わたしが昼呼ばわっても、あなたは答えられず、
  夜呼ばわっても平安を得ません。(詩篇22:1−2)

 私はこの詩篇22篇を読みますと、第二次世界大戦の時に、ドイツのヒットラ−政権下で実行されたユダヤ人の組織的大量殺人計画で死んでいったユダヤ人の苦悩に満ちた祈りを思い起こすのです。ポーランドのアウシュヴィッツ、ドイツのザクセンハイゼン、ダッハウ、ベルゼン、ベルリン近くの二箇所とワイマール近くの一箇所、オーストリア近くのマウトハイゼンなど、ユダヤ人強制収容所で約800万人が殺されました。その中には罪の無い子供達100万人が含まれていたのです。

 鉄条網が張り巡らされた内部での実に恐ろしい殺害計画の詳細は、ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所に入れられ、戦後奇跡的に生還できた精神医学者、ヴィクター・フランクルが『強制収容所における一心理学者の体験』を出版したことによって明らかにされました。日本では『夜と霧』と題されて出版されました。この書物を読んで実存哲学者、カール・ヤスパースは「この書は20世紀の最も重要な書物の一つである」と書評し、アメリカ図書館協議会は、「歴史上、これまでに最も多く読まれた重要な書物の一つである。」と評価しました。人類史上、前例の無い大量虐殺の生きた証言であると同時に、人間にとっての限界状況の中にあって、なおも人間らしさと尊厳性を失わず、生きる希望を捨てなかった人の真実の証言であったゆえに、世界中の多くの人々から読まれたのです。

 列車で収容所まで輸送され、着いて間もなくユダヤ人たちは選別されます。ガス室送りをまぬかれたユダヤ人はほっとする間もなく激震的衝撃を味わされるのです。衝撃は二段階で進んで行くとフランクルは語ります。第一段階は非常なショックを受ける段階です。広い部屋に導かれた全員が身に着けていたものを全て脱がされ、丸裸にされて、頭髪も体の毛をすべて剃られ、シャワー室に入れられて消毒される体験をします。そして、導かれるバラック宿舎には三段の蚕棚ベットが並んでおり、幅2m半のところに、9人が横を向いたまま体を密着させて寝返り出来ずに寝ることを命じられるのです。

 それが如何に苦痛に満ちたものであるか想像出来ます。やがて強制労働を強いられて、慢性的な飢えと疲れと栄養失調で体が衰弱してゆくのを感じながら、日常的に受ける暴力や侮辱される言葉に怒りを覚え我慢し、時には夜に裸のままで外に立たされるのです。耐えられないような苦しみを感じつつ、ただ死なないように、ガス室に送り込まれないように、生き延びようと努力するのが第一段階であったと書いています。

 やがて第二段階が来ます。仲間が殴り倒され、泥や糞尿の上に立ったり寝かされたりして、鞭打たれ悲鳴をあげる様を見て生じていた感情の高まりが次第に消えてゆき、自分の仲間がどんなひどい虐待を受けても、もはや目をそらすことなく無感覚、無感動になって、それをじっと見つめるようになり、嫌悪感、恐れ、同情、罵りに対する怒り、興奮などが生じなくなってゆくというのです。フランクルは「この無感動こそユダヤ人の心を包む最も必要な鎧であった。」と述べています。「苦悩する者、病む者、死につつある者、死者、これら全ては数週間の収容所の中で、日常茶飯事、当たり前の眺めになってしまって、それらは人の心を動かすことが出来なくなる。」と書いているのです。

 そのようなひどい状況の中で、尚も人間らしい心を失わずに生きる力を与えたものは何であったかをフランクルは数え上げるのです。第一のものは愛であったと述べています。フランクルは何度も愛する妻を想像の中で思い浮かべ、語りかけたのです。そして妻が微笑みながら愛をもって答えるのを聞きます。そして彼女の励ましのまなざしを見るのです。それは太陽の光よりも強く心を照らし、心の支えとなったのです。

 厳しい苦難が続く中で、フランクルの心を支え、生きる勇気を与えた第二のものは、生きる意味の自覚であったと述べています。彼にとって収容所の中で生きることは苦しむことでした。収容所の生活に意味があるということは、苦しむことに意味がなければならないのです。こんな苦しみにどんな意味があるのだろうとフランクルは問うたのです。その問い中でフランクルは重要なことに気づきます。それは人間の自由ということでした。悲しい運命と思われる強制収容所の絶望的苦悩の中にあっても、動物的人間に成り下がらないで、人間らしく生きてゆくためには、決断の自由、態度の自由、心の自由があることに気づいたのです。

 それは注意深く人々の行動を観察することにより気づかされました。愛がすっかり冷えきっている中で、尚もやさしい言葉を語り続ける人、自分の持っている最後のパンの一切れを人に与える人をフランクルは発見するのです。小さな輪になって祈りを捧げる人々、病気で苦しむ人を労わり慰める人の存在を知るのです。

 苦しみの中で生きる意味や苦しむ意味を問うていたのですが、人間に自由意志を与えて下さった神様が、「この動物的虐待を受ける悲惨な状況の中で、あなたは尚も人間としての品位と尊厳を守りぬくことが出来るか」と逆に自分に問うておられる神を感じたというのです。忍耐の限界へといつも追い立てられ、果てしなく続く苦しみの中で、尚も自分の生命を意味あるものとしてゆくのは、「人生になおイエス(然り)と言う」ことを可能とするものは、与えられている自由の中での決断であることを知るのです。「われわれは自分の人生から何を期待できるか」という観点から問うならば、強制収容所での絶望的状況からは何も期待できない」と考えた人々は、次々と絶望して病に倒れて死んでいったそうです。

 フランクルは苦難のどん底にあって、自分から人生の意味を問うのではなく、人生のほうから自分が問われていることに気づかされたのです。コペルニクス的思考の転換により、人生そのものから、別の言葉でいえば神から問われていると考えるならば、毎時間、毎日、毎月、与えられている決断の自由の中で、考え、語り、行動することにおいて正しく応答することが問われているのであり、そこに生の意味があると悟るのです。

 フランクルの心を支え、生きる希望を与えた第三のことは、生き延びて強制収容所から解放された後に、収容所内での出来事を多くの人々の前で講演している自分の姿を描き続けることでした。限界状況の中での人間の心理的反応、その中で生きる力となったものは何か、絶望的苦悩のなかで尚も生きる意味があるとすれば、その意味をどのようにして発見したかなどを、関心を抱き真剣に耳を傾ける聴衆に対して講演する自分の姿を思い続けたのです。不可能と思われるけれども、未来からやってくる時間が、必ず実現へと導いてくれるという期待を強く持ち続け、これこそが未来から期待されている自分の使命であり、これは必ず現実すべきヴィジョンであるという希望を持ち続けたことであったと、フランクルは述べています。

 ヒットラーが自殺し、ドイツの敗北により連合軍が強制収容所を解放しました。生き残った数少ないユダヤ人の一人として、フランクルは描き続けた夢の実現のために『強制収容所における一心理学者の体験』を出版し、(この書物は日本では『夜と霧』という題で出版されました。)また多くの聴衆の前で講演し、三つの講演をまとめて『それでも人生にイエス(然り)と言う』という講演集を出版しました。註@  将来に夢を持ち続けることの大切さを教えられます。

 戦後65年が過ぎました。日本は戦後の荒廃と困窮から立ち上がり、高度経済成長の下に、国民の生活が豊かになり、今や長寿の国となりました。戦後のベビー・ブームの時代に生まれて、日本の高度経済成長を支えた団塊の世代の多数が60歳の定年退職の年を迎え、平均寿命まで残る20年をどのように意義深く生きるかが問われるようになりました。神は私たちに問うています。

 註@ ヴィクター・フランクル『それでも人生にイエス(然り)と言う』(山田邦男、松田美佳訳)、春秋社、1993年。













 

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