平和の君、イエス・キリストの誕生     



Christmas Message 29             斎藤剛毅

イザヤ書9章6節に「ひとりのみどり子がわれわれのために生まれた。ひとりの
男の子がわれわれに与えられた。・・・その名は、『・・・平和の君』ととなえられる」とあります。「平和の君」とはイエス・キリストを意味するのですが、キリストが私たちに与えて下さる平和、心の平安について考えたいと思います。

マタイによる福音書2章を読みますと、東のバビロニアと思われる地方から博士たち、即ち、天文学者たちが惑星の動きを観測して、天球儀上のユダヤ人の運命と深い関わりのある天の空間に、偉大な王となる運命を担う王子誕生を示す星を発見したので、その王子を拝みにやってきたというのです。ユダヤのヘロデ王は不安を感じたと書かれています。その時、ヘロデ王の子は誕生しておりませんでしたから、祭司長と律法学者全員を集めて、キリスト誕生の予言について聞き、ベツレヘムと分ると、博士たちの報告を求めたのですが、彼らがひそかに帰国したと聞いて立腹し、「ベツレヘムとその付近の地方の2歳以下の男の子を、ことごとく殺した」(2章16節)という恐ろしい出来事が述べられています。

幼児殺害の前にヨセフは夢の中で天使の告知を受けて、ヘロデが死ぬまでエジプトに逃れて、そこにとどまるように命じられます。ヨセフは妻マリヤと幼な子イエスを連れて新約聖書における難民第1号としてエジプトに向います。マタイ福音書は幼児イエスが誕生して間もなく、王座の安泰を願う時の権力者に命をねらわれ、神を恐れないヘロデ王の下では、殺害された幼児と同様に一人の弱者として苦難を体験されたことを語っています。イエス・キリストの誕生はベツレヘム地方の子供を殺された母親にとっては皮肉にも深い悲しみの基となったことは、私にとっては理解に苦しむ謎の一つですが、それについては最後に触れます。

ヘロデ王はバプテスマのヨハネがヘロデヤとの結婚を批判したことに恨みを抱き、誕生日の宴会の折り、ヘロデヤの娘の願いを聞き入れてヨハネを殺します(マルコによる福音書6章14〜29節)。アメリカ大統領ジョン・F・ケネディが、キューバ侵攻計画を取り止め、また、ベトナム戦争の早期締結を計画し、マルチン・ルーサー・キング牧師の非暴力抵抗運動から発した黒人も白人と同様に官公庁に就職できるようにする機会平等の法律、公民権法の実現に取り組み始めた時、ベトナム戦争の続行により利益を上げようとする軍需産業家と結託した政治家たち、そしてFBIが力を合わせてケネディを1963年に暗殺したという筋書の映画「JFK(ケネディ)」が制作されました。また、ベトナム戦争に公然と反対し始めたキング牧師も数年後に暗殺されましたが、政治世界における闇の力の動きは、二千年前も現在も少しも変りません。

イエス様が宣教活動を開始し、同時に多くの人々を奇跡的に癒されたので大衆の人気が高まり、イエスをローマの支配からユダヤ民族を救い出すメシヤ王として担ぎ出そうとする人々が増加するにつれ、ヘロデ王の元からも、大祭司の元からも、イエスの動向を探らせるスパイが多く派遣されてゆくのです。イエス様のいやしを伴う宣教活動は主として宗教活動でしたから、ユダヤ人の多くは伝統的ユダヤ教から発した新興宗教の教祖的存在としか見ていなかったのです。しかし、ユダヤ教徒たちがイエスの教えに服従し離反するのではないかと、大祭司やパリサイ人と呼ばれるユダヤ教の厳格派集団は、不安を抱くと共に嫉妬もつのらせ、憎しみを加え、特に安息日にいやしの数々をなしたイエスの行為は、公然と神の戒めを破り、掟に違反する反ユダヤ教的行動と判断し、イエスを亡きものにしようとする企てが密かに起されてゆきました。

イエス様が「わたしは平安をあなたがたに残してゆく。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな」(ヨハネ14章27節)と言われたのは、自分をこの世から抹殺しようとする動きが強まったことを洞察なさったイエス様の、この世の闇の力との対決と緊張関係の中での発言だったのです。イエス様の言われた「わたしの平安」とはどのような平安だったのでしょうか。イエス様の心に宿る平安は、自分の教えと行動は神のみ心にかなっているという確信によるものでした。そして、何よりも父なる神がそれを祝福して共にいて下さるという事実によるものでした。

ヨハネ福音書13章1節に「過越の祭の前に、イエスはこの世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来た事を知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された」とあります。最後の晩餐の時に、やがて弟子たちの元から去っていくことを語られ、ペテロは「主よ、どこへおいでになるのですか」(13章36節)と尋ねます。弟子たちの心が騒ぎ、不安になったことは確かでしょう。弟子たちの動揺を察して「あなたがたは心を騒がせないがよい」(14章1節)と述べられます。愛する者との死別の不安がどういうものかは、1989年の9月に妻がガンの宣告を受けた時のことを想い起すと私は良く理解できます。

申命記は自分を経済的に守り、支えてくれる夫を失った妻、また両親を失った孤児が如何に精神的に不安と孤独を覚える存在であるかを充分に理解していて、神は彼らに正しい裁きと衣食を与えられる方であると述べています(10章18節)。ですから、イエス様は天に帰ってから、真理の御霊である助け主を弟子たちに送り、その方はいつも弟子たちと共にいて下さるのだから、弟子たちを捨てて孤児のような不安の状態で放置しないと約束なさるのです(ヨハネ福音書14:16〜18)。真理の御霊とは霊の姿を取って現われるイエス様ということができますから、弟子たちはイエス様が愛をもって霊的に存在し続けて下さるという信仰において平安を保つことができると語られたのです。

やがて、イエス様と弟子たちの平安が大きく乱される時が来ます。イエス様の時とは十字架につけられて、両手両足の激痛と喉の乾きの中で、父なる神が姿を隠し、全く見捨てられてしまったと思われる大きな闇の中に入れられた時です。その時の叫びは「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という言葉に表現されています。しかし、その闇の中でも、イエス様の父なる神への信頼は変わらず、「私の魂をゆだねます」と語って、息を引き取られました。弟子たちはイエス様の逮捕と不正の裁判による十字架処刑という思いがけない出来事の中で、自分たちも捕えられて殺されるのではないかという不安におののきました。

弟子たちが最後の晩餐の後にゲッセマネの園でイエス様を見捨てて逃げたという思い出したくもない罪責感は、イエス様の復活と顕現、そして「平安あれ! シャローム!」という言葉一つにより、全ての不安と罪責感が吹き飛ばされ、喜びに満たされるのです。イエス様の顕現は、赦しの愛に輝く光を放っていたからなのです。死に勝利して復活なさったイエス様が、憶病で弱くてだらしない自分たちを赦して下さり、自分たちが死に至るまで共にいて愛し、励まし続けて下さるという確信が、弟子たちの心を変え、一人一人が殉教の死をとげる伝説を生み出すほど、彼らは伝道の数々の苦難と不安を乗りこえて信仰を全うしたのです。そのことを彼らに可能としたのは、イエス様が共にいて下さったからであり、宣教は神のみ心であり、自分たちに与えられている召命であると確信していたからです。弟子たちの平安の源は復活のイエス様にありました。

1951年1月R.H.カルペッパー先生ご夫妻は一人娘さんを連れて日本に宣教師として赴任されました。翌年の1月もう一組の宣教師家族とガスストーブを囲んで交りを持ち、夫人が立ち上がろうとして倒れてしまいました。ストーブに欠陥があり、ガスがもれていたのです。酸欠の後遺症で夫人のお腹の赤ちゃんは死産し、夫人は子供を産めない体になってしまいました。娘さんは元気に成長し、アメリカの大学を出て、就職後、結婚し、1976年12月31日、孫娘が無事に産まれたという知らせがあり、大きな喜びも束の間、3時間ほどして呼吸困難に陥ったので、レントゲンを撮ると心臓肥大であることが分り、2週間して亡くなったと知らせが届いたのです。深い悲しみの中で祈りに祈って、イエス様のご臨在を感じ、その愛と慰めによって心に平安が与えられたとカルペッパー先生が証しされたことを思い起します。

しかし、夫人の落ち込みはひどく、私はインドの偉大な伝道者、サンダー・シングの書いた『霊界の黙示』の中の話を紹介しました。それは生まれてすぐ死んだ赤ちゃんの霊はすぐに天使によって、天界へと連れてゆかれ、天使として育てられてゆくという話です。そして母親或は祖母が死んで、天国に帰ってゆくと、天使として成長した赤ちゃんの霊が喜び迎えてくれるという内容です。カルペッパー夫人はとても喜び、慰められたと語って下さいました。 
昔ベツレヘムでヘロデによって殺された幼児たちも皆、神の国で天使たちによって
育てられたのでありましょう。













 

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