見えるものから、見えないものに目を注ぐ     



Message 25             斎藤剛毅

 「私たちは落胆しない。たとい私たちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされてゆく。なぜなら、この暫くの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を溢れるばかりに私たちに得させるからである。私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くのである。」(コリント人への第二の手紙4:16−18)

 今日の説教は、青春を失ってしまったと考え、失望と落胆の闇の中に落ち込み、その闇の中から光を見出していった一人の牧師の話から始めます。そして上記の使徒パウロの言葉を一緒に考えましょう。その牧師とは、伊都バプテスト教会の友納徳治先生です。友納先生は昨年(2009年)12月に『行くぬく力』と題する優れた信仰入門書を出版されました。その中で若き日の入信の出来事、永遠に続く目に見えない世界に心が開かれていった経緯が書かれていますので、紹介させていただきます。

 友納先生は高校2年生の時に喀血して病院に運ばれました。肺結核と診断されてから、入退院を繰り返して休学し、3年近く苦悩の療養生活を送るのです。当時の結核の特効薬、ストレプトマシシンは高価で入手出来ず、絶対安静が唯一の治療方法だったのです。大学進学を諦め、将来の夢が砕かれて、悲しみと失望に陥っていた時、夜に「おやすみ」の挨拶を交わした同室の人が翌朝は帰らぬ人となったこともあり、明日には自分に死が訪れるのではないかという不安と怖れに捕らわれ、夜明けの光を感じるまで寝付けない苦しみを味わうのです。結核は確実に進行し、心も体も死によって滅ぼされてしまうという絶望が心を覆う状態にまで至りました。

 喀血を繰り返し、意識朦朧の中でお母様が病院に呼ばれました。ふと気付くとお母様がベットの傍らで祈っている姿が見えたのです。その姿をじっと見ている間に不思議な安らぎが感じられたそうです。「徳治」と呼びかけるお母様の涙の奥に、愛の温もりを感じ、「この母の為に死んではならない」と強く決心をするのです。その強い決心が結核に打ち勝つ道を拓きました。

 お母様は一時退院の許可をもらって家に帰り、近くの教会の礼拝へと徳治さんを導き、若松市市長にもなられた吉田敬太郎牧師との面談の時を与えるのです。わが子を思う母の愛です。彼から胸の内の苦しみを聴かれた吉田先生は「君の内なる苦しみと虚しさが確実な事実ならば、そこから解放される喜びと希望も君の内にあることも確かだ。夜の闇があり、昼の光があることが確かなように、光は君の内にもあるのだよ。君が自分の存在を超えた者の呼びかけを聴くことが出来るなら、今の闇の中に新しい世界の道を見出せる」と言われたのです。そして、吉田先生は「人が全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得になろうか」(マルコによる福音書8章36節)というキリストの言葉を語られたのですが、その時の友納青年はその内容を深く理解することは出来なかったのでした。

 2010年の5月17日にお亡くなりになった福岡女学院大学初代学長の岩橋文吉先生は「人の精神的飛躍はより優れた精神との出会いによってなされる」と言われたことを思い起します。精神的飛躍の道も神様によって備えられてゆくのです。

 徳治少年の叔父様が西日本新聞の文芸欄担当の記者をしておられたことがきっかけとなり、『チャタレイ夫人の恋人』の訳等で有名になった伊藤整氏と会うことになりました。伊藤整さんは語ります。「人が死とか無とかを考える。その時初めてその人に、人生が根本からその姿を示すのだよ。」中々含蓄のある言葉ですね。そして、「君は病気をして何を失ったと思っているの?」と尋ねられて、即座に「青春です」と答えます。すると思いがけない言葉が跳ね返ってきました。「それは大変な思い違いだ。君は青春とは、美しい少女に出会い、音楽会、読書会、サークル活動。旅行、誕生パーティ。それにスポーツ、映画、観劇に…と思ってはいないかい。それらはすべて青春らしい生活形式であっても、青春そのものではない。例えて言えば蜃気楼、砂漠の中の幻影のようなものだ。それを追い求めていると、やがて疲れ果てて、人生そのものに幻滅を抱くことになる。…

 青春の形が失われることは、青春が失われることではないのに、君は青春を失ったと言う。その喪失感により、君は死を恐れ、不安を抱いている。しかし、それこそが君の魂へ降りてゆく鉛糸だと思い、怖れずに自分の内なる声に届かせるといい。」(『生きぬく力』、12−14頁)。深い言葉ですね。74歳になった友納先生が少年時代の自分を回顧しながら自分に語られた伊藤さんの貴重な言葉を思考に
思考を重ねて表現された言葉だと思います。

 友納少年が「僕は青春を失った」と言い切ったとき、この世の青春の見える形、一般の人々が楽しむ青春の様々な形を失っただけであり、自分はどこから来て、どこに行くのか?自分の存在の意味があるとしたら、何をもって意味があると言えるのか?自分の存在が死と共に無となり、それで終わりなのか?と問いながら生きることも、それは形には現われないけれども、青春の大切な一部なのだと
伊藤整氏は諭したのです。

 このように、友納先生は今紹介した吉田敬太郎牧師や伊藤整氏の言葉を、『生きぬく力』の中で述べているのです。そして、伊藤整氏が語られた青春らしい生活形式を「目にみえるもの」、青春そのものは「目に見えないもの」と言い換えており、「この識別は自分の基調心音として脈打っている」と見事な文章で書いています。
しかし、この段階では、友納少年は「目に見えないもの」の世界に対する目が開かれてはいないのです。彼が西南学院大学の4年生になった12月に、お母様の弟である叔父さん癌で亡くなるのですが、その数日前にお母様と一緒に病室の叔父さんを訪ねた時のことが、次のように表現しています。

 叔父は「姉さん、あと数日だと思うので、生まれてくる子どものことを頼むね。僕は父親として手を引いて歩かせてやれないが、神様が守って導いてくれるから…あとよろしく頼むね。」すると母は「分かった。孝ちゃん(叔父の名)先に行って待っててね。」この後二人はすぐに日常のいつもの会話に戻ったのです。その時、私は今も忘れられない衝撃というか、雷に打たれたような一瞬の閃光が、身体を通り抜けていったことを覚えています。

 私は高校を休学し、療養中に二度も死の暗闇を体験してからというもの、背中に張り付いたかのような死の影に怯え、その後何をしても沸点を感じ取れずにいました。「死ねばすべてが消滅する。」この声を消し去ることができなかったからです。しかし、二人の会話で直感したのです。もしかしたら、死は終わりではないのかもしれない。これまでの疑いの暗闇に、時空を超えた光が、私の内に灯された瞬間であったのかも知れません。(『行くぬく力』、74−76頁)

 イエス様はおっしゃいました。「人はパンだけで生きる者ではなく、神の口から出る言で生きる者である。」(マタイによる福音書4章4節)この言葉の意味が心から理解できるようになるためには、目に見えるもの、この世で価値あるものと考えられているものを求める生き方が挫折したり、壁にぶつかったりして失望する
体験が必要なのです。

 友納青年は、母親が死にゆく叔父さんと天国での再会を楽しく語り合う会話に衝撃を受け、時空を超えた死の彼方にある霊的世界、神が備えておられる天国の世界が存在する可能性に気付かされるのです。それから真面目に聖書を読み始め、旧約聖書の預言者や神の御子イエス・キリストを通して、神が語られた福音の言葉に出会うのです。
「見よ、わたしはあなたを練った。…苦しみの炉をもって試みた。」(イザヤ書48:10)「わたしは恵みの時に、あなたに答え、救いの日にあなたを助ける。」(イザヤ書48:8)
「生まれた時からわたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、 わたしはあなたが年老いるまで変わらず、白髪となるまで、あなたを持ち運ぶ。 わたしは造ったゆえ、必ず負い、かつ救う。」(イザヤ書46:3−4)
「あなたはわが目に尊く重んぜられる者、わたしはあなたを愛する。」(イザヤ書43:4)「恐れるな、わたしはあなたと共におる。」(イザヤ書43:5)

 友納青年は、青春を失ったと思い、落胆し、迫り来る死を恐れ、不安に怯えていました。天地の造り主なる父なる神様は、こんな自分を尊い大切な神の子として愛していて下さるという嬉しい福音を聖書から、また説教から聞いたのです。驚くべき神の愛を信じ、受け入れることが出来た時に、死への恐怖と不安は消えたのです。神にとって尊い、価値ある存在として愛され、持ち運ばれてゆく存在として自覚することは、自分の存在価値の発見でありました。失望の中に、死んだら無になって終るというやりきれない虚無感が消えて、死の彼方に復活の希望を持つことが出来たのです。希望の中から生きる勇気が沸いてきました。「わたしの外なる人(からだ)が滅びても、内なる人(魂)は、日毎に神の言葉によって新しくされ、感謝と生きる喜びに満たされる体験をしたのです。「暫くの軽い艱難は、永遠の重い栄光を溢れるわたしに得させる」と語った使徒パウロの言葉を信じて、友納青年はクリスチャンになり、後に献身して神学部での学びを経て牧師になったのです。

参考文献 友納徳治著『生きぬく力』、伊都文庫、2009年。













 

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