自分を殺してはならない〜大平光代さんの場合〜     



Message 24             斎藤剛毅

 十戒の中にある戒め「殺してはならない」(出エジプト記二〇章一三節)は、殺人の禁止であると同時に自殺の禁止でもあります。日本では過去八年間連続して三万人以上の人々が自殺しました。昨年は深刻な不況の影響で更に自殺者が増えました。自殺者は命を絶たざるを得ない経済問題、病気、人間関係等の挫折などを含む悲しく苦しい事情を抱えており、うつ状態に陥っている場合も多いと言われています。私たちは悩める人々に希望をもたたら光の存在になりたいものです。

 私たち一人一人は人間生命の創造者によって唯一無比の存在として愛されています。

「私の目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節)
「私はあなたを選び、決して見捨てない。恐れることはない。私はあなたと共にいる神。 勢いを与えてあなたを助け、私の救いの右の手であなたを支える。」(イザヤ書41章9節)

 上記の聖書の言葉は心の支えとなり、希望を与える言葉です。これらを覚えて、悩める人々に語り、希望を与えることに役立てて下されば幸いです。

 2008年の6月26(土)のNHK総合テレビで朝10時から45分間「土曜インタビュー」で大阪市の助役に選ばれた大平光代さんが登場しました。弁護士、大平光代さんは1965年10月生まれですから、歳若き異例の抜擢と言えます。
光代さんは中学二年の時にいじめに会いました。無視、陰口、陰湿な落書き、大切な物をごみ箱に捨てられ、トイレで水をかけられ、相談相手だった3人の親友からも裏切られ、「自分を裏切った三人だけは絶対に許せない、自分がどんなに苦しんだか思い知らせてやる!」という復讐の思いが動機で自殺を決心し、西宮側の武庫川の河川敷の茂みでお腹を果物ナイフで五ヵ所刺して自殺を図りました。痛みと苦しみの中での叫びがアベックに聞かれ、救急車が呼ばれ、肺に溜まった血液を除く激痛を伴う手術後、命を取りとめます。詩篇107篇19節の「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らの苦しみに救いを与えられた。」に類する体験です。彼女は復讐のつもりの自殺未遂は全部苦痛となって自分自身に災いとなってはね返ってくることを知りました。

 退院後、「死に損ない!」とクラスの生徒から言われた時、「もうここには自分の居場所はない」「傷つき弱っている者に対して平気で誹謗中傷するこいつらに人間の心があるのか?!」「こいつらが人間ならば、私は人間であることをやめてやる!」と心にきめて、光代さんは一変して夜の町に出かけるようになり、不良少年少女の仲間達を作って居場所を見つけたものの、「復讐したいと思って相手を刺したのなら仲間にしてやるけれども、自分の腹を刺すような頭のおかしい人間は仲間にしてやらん!」と言われて、光代さんの中で何かがはじけて「もう誰も信じられん!」と感じた彼女は荒れに荒れて母親に暴力を振い、むしり取ったお金で遊び続け、中卒後「仲間が欲しい。ひとりぼっちはいやや。自分の居場所が欲しい・・・」と思いつつ、暴力団の世界に行き着き、16歳の時暴力団組長の妻となったのです。更に、両親に暴力を振って金を奪い、刺青を背中に入れたものの結局そこにも居場所がないことが分かり、身も心もぼろぼろになって離婚しました。

 1988年春頃、22歳の時、クラブのホステスとして働いた所へ父親の友人である大平浩三郎さんがやってきて再会しました。小さい頃から「おっちゃん」となついていた人で、それから浩三朗さん三の光代さんへの説教が続きました。「根のない物や割り箸にでもツルを巻く朝顔になったらあかん。同じツルを巻くなら根のあるものに巻いたらどうや」「今からでも遅くない。やり直しなさい!」と真剣な顔して語る大平さんに「今更立ち直れだって?何を寝言ゆうてんねん。口先だけで説教するのはやめてくれ。そんなに立ち直れと言うのなら私を中学生の頃に戻してくれ!」叫ぶ光代さん。

 「確かにあんたが道を踏み外したのはあんただけのせいやないと思う親も周囲も悪かったろう。でもな、いつまでも立ち直ろうとしないのはあんたのせいやで。甘えるな!」と大声で諌める大平さん。落雷にあったような衝撃を受け、やっと真剣に自分と向き合ってくれる人に出会ったと嬉しくて体が震え、その場に泣き崩れた光代さんでした。出会いの素晴らしさ。そこに神の力が働いたのです。詩篇107篇20節の言葉。「主なる神は御言葉を遣わして、彼らをいやし、破滅から彼らを救い出された。」

 光代さんはこれまで他人のせいにばかりしていた自分を恥じました。そして、これが最後のチャンスかもしれない。もう一度人生をやり直してみよう!」と決心したのが23歳でした。蟻地獄に落ちていた自分の前に一本のロープが投げ込まれた感じ。彼女はしっかりとそれを掴んだのです。

 光代さんはそれまで恨みつらみを引きずっていました。大平さんの勧めに従ってその恨みを資格取得のエネルギーに変え、中卒ではどこの会社も雇ってくれませんから、ワンルームマンションに移り、大平さんから贈られた机を前にして、猛勉強が始まりました。土地や建物の売買・仲介・斡旋をする宅地建物取引の専門家になるために、宅建の資格取得に挑戦し、見事試験に合格しました。「やればできるんや!自信を持ちなさい・」と喜ぶ大平さん。次に司法書士の資格のための猛勉が始まりました。一回目は不合格でしたが、大平さんに励まされて二度目に合格。司法書士の登録を済ませて業務を始めました。

 仕事が落ち着いてから、家に戻り、両親の前に手をついて頭を下げ、「お父ちゃん、お母ちゃん、今までのことごめんなさい」と言いました。暫くの沈黙が続き、やっぱり赦してもらえんのか。また出直そうと思い、席を立とうとした時、「みっちゃん、もうええよ」と涙をこぼしながら語ったお父さん。お母さんも「よう、頑張ったなあ、よう、頑張った」と言って光代さんの手を握り、「よかった、よかった」と言いながら号泣しながら喜んでくれました。「おかあちゃん!」と泣く光代さんはこれからは決して親不孝をしないことを心に誓ったのでした。

 大平浩三朗さんは「ここまで頑張ったのだから、今度は司法試験に受けたらどうや」と語りました。大平さんや両親や自分を励ましてくれる人々に認めてもらいたい、誉めてもらいたいという一心に、最難関と言われている試験とも知らずに挑戦することにしたのです。

 それから猛勉を続けて、通信教育で高校卒の資格を取り、大学に入学して通信教育で大学2年間に必要な単位を取得してから、司法試験の第二次試験にいどみ、一発で合格という快挙を成し遂げたのです。光代さん二九歳のときです。

 その後、光代さんは弁護士となり、3年間で70人を超える非行少年と向き合い、事件を起こした少年に面会するために少年鑑別所に頻繁に足を運びました。学校でいじめられ、幼少年期に虐待され、親の過干渉、過保護の問題に触れながら、「同じ臭いがする」と感じながら活動を続けました。非行少年少女たちの更生を願いながら、『だから あなたも生き抜いて』という自分の過去を綴った本を書き、それがベストセラーなりました。大阪市の助役に抜擢された光代さんは大平浩三郎さんの養女となり、姓は大平と変りましたが、不登校、ひきこもり、無気力、非行の生徒が増加している大阪にあって、教育改革を小学校から始めています。生徒にやる気を起こさせ、勉強に自信をもたせる教育の実現をめざして取り組んでいることが、NHKテレビ紹介されました。番組の最後に「親が自分にとって都合の良い子供になるように、親の規律を押し付けないことの大切さ、子供の自主的判断が良い方向に向かうことを見守ることが親にとって必要であること」が強調されました。

 光代さんを立ち上がらせた大平浩三さんは10歳のときに母を亡くし、父や兄弟と離れて、継母の貧しい農家である実家に預けられ、温かい家庭の愛情を知らずに育った過去をもっていました。10代からから荒れ初め、非行に走り、一度は道を踏み外すのですが、やがて自分で興した設備会社が運良く業績を伸ばしたことがきっかけとなり、立ち直って以来、家庭に恵まれない多くの少年を会社に雇い入れ、資格を取るための学費援助を行っている心温かい人物なのです。会社の応接間に掛けられている言葉があります。
    
    今こそ 出発点 人生とは毎日が訓練である
    私自身の訓練の場である 失敗もできる訓練の場である
    生きていることを喜ぶ訓練の場である

    今の幸せを喜ぶことなく  いつどこで幸せになるのか
    この喜びをもとに全力で進もう
    わたし自身の将来は  今ここにある
    今こそ頑張らずに いつ頑張れる!

 神から授かった賜物を活かして生きることは人生の幸せに繋がります。信仰に目覚めるとわたし達は神から使命と宿題を託されてこの地上に生まれてきたことを知ります。自分の存在価値を神の愛の中に見出し、自分の使命に目覚めたいものです。

(上記の記述は大平光代著『だからあなたも行きぬいて』、講談社、2000年を参考にして書かれたものです。)

 追記:2009年7月12日の朝日新聞朝刊「ひと」欄に「元大阪市助役の 弁護士、いまダウン症の娘と生きる」大平光代さん(43)という見出しで次のように紹介されています。
 市政改革に挑んだものの、議員らの抵抗にあい満身創痍で大阪市助役を辞任したのは05年の秋だった。直後の12月、川下清弁護士(54)に会って恋をした。翌1月に妊娠が判明、2月に結婚した。生まれた娘の悠(はるか)ちゃんは、染色体が通常より一本多いダウン症だった。睡眠2〜3時間で仕事漬けだった生活を変えた。弁護士はほぼ休み、子育てに専念する。大阪市中心部まで2時間かかる兵庫県の山中に昨年引っ越した。鳥のさえずりを聴き、草花をめで、娘と手遊び歌を歌う。有機野菜中心の食事。就寝前に夫と紅茶を飲みながら語らう。
 心臓や肺に病気がある悠ちゃんは、2歳9ヶ月で体重7キロと、同年齢の子よりかなり小さい。病院にも頻繁に通う。「悩んだかって、変わらへん。悠は悠のペースで育って、色んなことが出来るようになった。今日一日できたことを喜ばんと。」……わが子の育つ姿が、同じ障害を持つ子や親の希望になればと願い、今月、新著『今日を生きる』(中央公論新社)を出した。「標準と比べる周囲の目に負けないで」と、今度は母親たちを応援する。(文・岡本峰子)













 

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