強い憎しみを乗り越えて
         〜コーリー・テン・ブーム女史の場合〜

   
  



Message 55                                              斎藤剛毅

 36年に亘って日本政府が朝鮮半島を統治した時に生じた朝鮮民族の屈辱感と半日感情と、独立運動への弾圧により多くの犠牲者が生まれ、その肉親と子孫の日本に対する恨みと憎しみが、依然として根深く残っています。南京には「30万人虐殺博物館」が建てられており、多くの小・中・高の学生が教育の一環として教師に引率され、日本軍の恐ろしい残虐行為の写真や模型を見て、日本の中国侵略の事実が教えられています。虐殺数に誇張がなされているとは言え、虐殺の事実に対する反感は強く、日本人の歴史教育の甘さを指摘し続ける中国は、領土問題を機に憎しみが増幅されています。憎しみの感情解決には時間がかかります。

 愛する家族を殺されたことに対する憎しみと怒りが如何に大きなものか、殺人者が死を持って罪を償うべきという意見が被害家族から語られます。飲酒運転による事故、いじめによる自殺が続いています。愛する家族、子供を奪われた人々は命を奪った者に対する強い憎しみを持っていることは犯罪ドラマでも繰り返し表現されます。憎しみは色々なことから生じます。身に覚えのない暴力、中傷、誹謗、突然の解雇、偽りの噂、悪意のある批判と軽蔑を込めた発言を受けた時、人は怒り、憎しみはふくらみます。憎しみは殺意を生み、精神を腐らせます。赦せない憎しみを抱くほどの困難な状況に追い込まれた時、私たちは神の前に、どのように対処することが求められているのでしょうか。

   今日は、ドイツのラベンスブルック強制収容所から奇跡的に釈放されて後、世界60カ国以上で、キリストの愛を宣教し続けた夫人伝道者、コーリー・テン・ブームさんのお話をします。コーリーさんは戦後、『わたしの隠れ家』を出版し、映画にもなったベストセラー作家でもあります。『主のための放浪者』は世界伝道の記録・体験記です。 

 第二次世界大戦が始まり、1940年、オランダがナチス・ドイツの支配下に入るまで、テン・ブームさん家族5人は、オランダのハールレム市で幸せなクリスチャン生活を送っていました。父親のキャスパーさんは時計店を営んでおり、イスラエルの平和のために祈る人でした。しかし、1940年以降、ドイツ軍がユダヤ人迫害の手を伸ばし始め、ユダヤ人を捕えて強制収容所に送るという事態が生じました。キャスパーさんは人道的理由から普通の人には分からない隠れ部屋を作り、強制収容所行きを逃れて来たユダヤ人や反ナチスの活動家たちを秘密の隠れ家にかくまいました。1943年から44年にかけて、コーリーさんと仲間はユダヤ人避難者をかくまう勇敢なオランダ人家族を捜し、800人のユダヤ人や地下活動家を保護し、彼らの命を救ったのです。

   しかし、ある男から妻を逃がす資金の提供を依頼され、便宜を図ったのですが、その男はテン・ブームさん家族をゲシュタポ(ドイツ秘密警察)に密告して苦しみのどん底に陥れてしまうのです。ユダヤ人をかくまった罪で家族全員は逮捕され、オランダの牢獄に入れられ、両親と兄のウイレムさんは獄中で死亡します。コーリーさんはオランダの獄中で、密告した男を憎み、心は憎悪で煮えたぎり、その男の死を強く願いました。更なる悲劇が訪れ、姉のベッツィさん(59歳)とコーリーさん(52歳)はベルリン近くに作られた恐怖のラベンスブルック強制収容所に送られ、言語を絶する苦しみを体験するのです。姉のベッツィさんとコーリーさんは収容所の同じ棟に入り、数々の苦難の中でキリストの福音を語り、多くの人を救いに導きますが、ベッツィさんは痩せ衰えて亡くなりました。そして、コーリーさんと同じ年頃の女性を全員殺せという命令が出る一週間前に、コーリーさんは奇跡的に釈放されるのです。

   次第に健康を回復したコーリーさんは、オランダでナチスの残虐行為の犠牲者となった人々を収容する施設で働きました。施設に収容された人々で、自分を苦しめた敵を赦すことが出来た人は、身体的負傷を負ったにもかかわらず、生活を立て直すことが出来ましたが、赦すことが出来なかった人々は病人になってしまったと、コーリーさんは語っています。イエス・キリストの言葉、「もしも、あなたがたが、人々のあやまちを赦すならば、あなたがたの天の父も、あなたがたを赦して下さるであろう。もし人を赦さないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちを赦して下さらないであろう。」(マタイ福音書6章14節)は、人を赦せるか、赦さないかによって、私たち人間は自分の心身に大きな影響を与えてしまうことを教えています。

   コーリーさんは自分の家族を死に追いやった敵国ドイツに出かけて行きます。ドイツ人は敗戦で面目を失いました。彼らの家は破壊され、ヒットラーの犯罪の極悪さを聞いた時、彼らは絶望感に襲われました。コーリーさんはダルムシュタット元強制収容所を改装した難民避難所で働き、敗戦の悲哀を味わっている人々と話し合い、希望と喜びを与えようと努力します。
ある日、コーリーさんは両足が切断されて車椅子に座っている法律家を見つけます。彼は苦しみと憎しみと自己憐憫の虜になっていました。憎い戦争が彼の足を奪ったのです。彼は神にも人にも恨みを抱いていました。目には生気が無く、じっと壁を見つめています。コーリーさんは「悲痛から逃れる唯一の方法は、それを捨て去ることです」と語りかけます。彼は振り向いて「悲痛について、あなたは何を知っているのですか?あなたにはまだ足がある」と答えました。コーリーさんは応答します。「戦争中、オランダで、ある男が彼の妻を逃してくれるように頼みに来ました。それで私はお金を全部あげました。友達にも勧めて同じことをさせました。でもその男は裏切ったのです。彼が私の所に来たのは、私を罠にはめて逮捕させるためだったのです。彼は私の家族全員と友人まで裏切りました。私たちは全員、牢獄に送られ、そこで私の家族三人は死にました。あなたは私に悲痛と憎しみについてお尋ねになりましたが、あなたは自分の境遇を憎んでおられるだけです。私は一人の男を憎みました。故郷の牢獄で、ドイツの収容所に移されるまでの間、私の心は憎悪と悲しみでどうしようもなかったのです。私はその男が死ねばよいと思いました。私には憎しみがどんなものか知っています。それで私はあなたを理解することが出来るのです。」

 法律家は言いました。「あなたも憎んだことがあるのですね。私の憎しみについて、どうしろとおっしゃるのですか?」「神の御子が言われたことを言わせて下さい。『もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦して下さいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたをお赦しにはなりません』(マタイ福音書6章14節)。もし私たちが他の人々を赦せば、私たちの心は赦しをいただくのに相応しくされるのです。」「私たちが悔い改める時」とコーリーさんは続けました。「神様は私たちを赦し、清めて下さるのです。私はそれを体験しました。私たちが罪を告白すれば、神様は真実で正しいお方ですから、私たちの罪を清め、一切の罪を赦して下さいます。」

 法律家は首を振って言いました。「私の憎しみは洗い流すには余りにも深いのです。」「いいえ、私よりは深くありませんよ。私が告白するとイエス様は憎しみを取り去られたばかりでなく、愛で満たして下さったのです。敵をも愛する力で。」法律家は尋ねます。「あなたを裏切り、あなたの家族を死なせた男を愛せたというのですか?」コーリーさんは頷いて言いました。「戦争が終わって、その男が死刑の宣告を受けた時、私は彼と手紙のやり取りをしました。神様は死刑の執行前に、救いの道を示そうと、わたしをお用いになったのです。」法律家は言いました。「何という奇跡だ!イエスは人間に対して、そういうことを確かに出来ると言われるのですか。時間をかけてじっくりと考えます。」

 一年後に、コーリーさんはその男に会いました。彼の友人たちは足が無くても運転できる特別装置付きの車をプレゼントしていたのです。彼は言いました。「あなたはイエスが勝利者であることを教えて下さった。…私は自分の憎しみの痛みを神様にお任せしたのです。私は悔い改めました。神様は私を赦し、そのご愛で私の心を満たして下さいました。今私は難民キャンプで働いています。足の無い人間でも、お任せすればお使い下さることを知って、主を賛美しています。」註@

 1947年のことです。コーリーさんはミュンヘンにも伝道に出かけ、教会で「神はあなたがたの罪を海の深みに投げ入れて捨ててしまわれるのです」と説教しました。説教の後、一人の男が静かに歩いてくるのが見えました。その男は忘れもしません、ラベンズブルックの収容所で最も残酷な看守の一人だったのです。青い制服と死の象徴ともいえる髑髏の記章のついた帽子を連想し、この男の前を          
全裸で歩かされた忌まわしい恥辱の記憶が甦ってきました。目の前を歩いた姉の痩せ細った体、その男に苦しめられ、姉のベッツィさんは死んだのでした。どうしても赦せない男なのです。その男は言いました。「私はその後クリスチャンになりました。神が罪を赦して下さることは有難いのですが、あなたの口からも聞きたいのです。私を赦してくれますか?」と言って、手を差し伸べたのです。彼女は最も難しい心の問題にぶつかりました。

 コーリーさんは赦せない冷たい心のままで立っていました。赦しは行動です。行動に表わさなければ赦しにはなりません。コーリーさんは「イエス様、助けて下さい!私は手を差し出すことは出来ます。しかし、感情が伴わないのです。どうぞ感情をお与え下さい」と心の中で叫びました。コーリーさんはぎこちなく、ただ機械的に手を差し出しました。その時に信じがたいことが起こったのです。コーリーさんの肩に電流が流れ出したかのように、イエス様から来る赦しの愛が腕を伝わって走り、コーリーさんが握手した手に溢れたのです。大きな赦しの愛はコーリーさんの全身にみなぎり溢れ、涙を流しながらコーリーさんは言いました。「兄弟よ、わたしは赦します。心から赦します。」

 コーリーさんはその時のことを回想して書いています。「私はその時ほど、神の愛を強く感じたことはなかった。そして、それは決して私の愛でではないことを悟った。確かに努力はしたが、私には力が無かった。それはまさにローマ人への手紙5章5節に記されている聖霊の力であった。「…なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちに注がれたからである。」註A

 あなたはコーリーさんよりもずっと小さなことで、人を恨んだり、怒ったり、赦せないという思いを抱いたことはありませんか?現在も憎しみを心に持ってはいませんか?怒り、恨み、憎しみは私たち自身を毒してしまうのです。憎しみを抱いてしまった時、コーリーさんのように祈りましょう。「あの人を赦す愛を与えて下さい!私が怒りを覚えるあの人に祝福する大きな愛を与えて下さい!」と。主イエス様は熱心に祈り求めるならば必ず不可能と思われることでも可能として下さいます。自分を苦しめる人のために、赦せない人のために赦しの力を求め、祝福の祈りを捧げることは、愛によって勝利することなのです。赦しの実践は、神の子としての試験に合格するために必要なのです。

註@ この話は、コーリー・テン・ブーム著『主のための放浪者』(稲富いよの訳、  いのちのことば社、1976年)の「傷んだ弦の音楽」、58−62頁に書かれています。
註A この話は、コーリー・テン・ブーム著『主のための放浪者』、「あなたの敵  を愛せよ」、63−66頁に書かれています。

文中に引用した聖書の言葉は、日本聖書協会の口語訳によるものです。
       

 













 

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