マ リ ヤ の 信 仰(クリスマスのメッセージ)
   
  



Message 53                                              斎藤剛毅

聖書の言葉 ルカによる福音書 1章26〜38節からのメッセージ

  処女マリヤがみごもって男の子を産むという天使による受胎告知の記事を書いたルカは、使徒パウロを助けて地中海沿岸都市での伝道を共にした医者であり、使徒行伝(使徒言行録)をも書いた歴史家でありました。処女が男性との性的関係なしに子を胎に宿すということは、昔も今も奇跡的出来事です。医学に通じていたルカがこの処女懐妊の記事を書くことは冒険であり、勇気を必要としたと思います。なぜなら信じる人よりも信じない人の方が圧倒的に多く、この記事を書くことがかえって人のつまずきになることが容易に想像できたからです。四つの福音書の中で最も早く書かれたマルコによる福音書には、キリストの処女降誕の記事は書かれておりません。使徒パウロは十字架と復活ほどにはこの出来事を重んじてはいません。

  しかし、福音書記者ルカとマタイとヨハネは、永遠なる神のひとり子が人となってこの地上に生まれたこと、神学的言葉では「受肉」と言いますが、この出来事を書いています。マタイはマリヤの婚約者ヨセフに主の使いが夢に現われて、マリヤの妊娠は神の聖霊によるのであると語ります。ルカは御使ガブリエルが現われて、聖霊がマリヤに臨み、いと高き者の力がマリヤを覆い、その結果生まれる子は聖なる神の子と唱えられると告げたと書いています。ヨハネは永遠の真理である神の言(ロゴス)が闇の中にいる人間を照らし、救い出すために肉体となったと語ります。何故書いたのでしょうか。それは彼らが聖霊による「受肉」を信じたからです。

  ルカの1章26〜38節までの文章は無駄がなく、キリスト・イエスの誕生の原因、根拠が見事に表現されています。この記事を信仰心で読むか、疑いをもって読むかは私たちに問われています。私がこの箇所を祈りつつ何回も読んでマリヤの信仰について感じたことを二,三述べてみたいと思います。第一は、天使がマリヤに現われて、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」という祝福の言葉を語ったのですが、マリヤはそれまでに長い間神様に祈りを捧げていたと思われるということです。結婚以前から神様の御用に役立つ者になりたいと願い、「神様、私の全てをあなたに捧げます。どうか私を清めて御用のためにお用い下さい」と長い年月祈っていたに違いないと思います。なぜなら、神様の選びと恵みの御業はこのような信仰をもって祈る人に現われるからです。神様が人を用いようとなさる時、喜んでみ旨に従う心の用意ができている人を選ばれると信じるからです。

  第二に考えたいことは、マリヤが御使いに答えた「お言葉通り、わが身に成りますように」という言葉は、イエス様がゲッセマネの園で血の汗を流しながら祈り抜き、最後に「わが思いではなく、み心のままになさって下さい」(マタイ 26章39節)と祈られたように、マリヤが神の意志に絶対服従してゆく素直な心は、祈りに祈って与えられたということです。

  第三に考えたいことは、神の約束の言葉は必ず実現成就するということです。福岡女学院の理事であり、宣教師であるヘイゼル・ダヒューン先生のお話を紹介します。先生が長女、長男の子育てに気が立っていて、子供につらく当たる自分の心を情けなく思い、子供に対する深い愛情とやさしい気持ちが与えられるようにと祈っていた時、突然「あなたに男の子が与えられる」という神の声を聞いたように感じ、それを日記に書き留めたというのです。やがて島根県で行われた宣教師会に家族で参加した時、長女が他の宣教師の赤ちゃんを抱いてきて、「お母さん可愛いね、この赤ちゃん!」と語り、長男も他の男の子供たちと一緒に可愛がったのです。宣教師会からの帰りに、ご主人が「もう一人男の子が欲しい」と語ったそうです。そこで祈りの時に神の声を聞いて、そのことを日記に書き留めたことを語り、それから二人で祈り始め、4ヶ月後に日本人の男の子を養子として育てる話がまとまり、男の子が与えられたので、マリヤへの御使いの告知と成就の話の箇所を読む度に心に響くものがあると言われました。

  私たちに与えられている神の約束、それは信じる者に与えられる罪の赦し、聖霊の実(愛、喜び、平安、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制)を生活の中で結ぶこと、また信じ抜いた者に与えられる永遠の命ですが、それらは恵みにより、みな実現・成就するのです。

  天使から祝福の言葉を受け、それを信じて受け入れ、御子イエスを胎に宿して、出産したマリヤ。その成長を見守ったマリヤが最後に体験したことは、30歳頃から福音宣教の生活に入ったわが子イエスの十字架上の死でした。母マリヤの胸は苦しみと悲しみによってえぐられます。この苦しみは神への服従の過程に含まれていることを教えられます。しかし、イエス様の復活と昇天により、地上での使命を果し終えたわが子を喜び、又、弟子たちと共に約束の聖霊を受け、伝道の使命を全うできるように弟子達のために祈り続けて、天に帰ったのがマリヤの生涯でした。
          

 













 

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