インディアン伝道者・ブレイナードの生涯
   
  



Message 50                                              斎藤剛毅

 ディビット・ブレイナード(David Brainerd)は1718年4月20日に、アメリカのコネクティカット州ハートフォードのハダムで生まれました。9歳の時に父を失い、14歳の時に母と死別し、彼は強い孤独感に悩まされるようになります。牧師の娘であった母の信仰的感化は薄れてゆき、ブレイナードは魂のことに無関心になり、「この世にあって神のない者」として成長してゆきました。

 19歳になって農園で働き始めて1年後、信仰深いフィスク氏の家に引き取られ、信仰と学問の訓練を受ける幸いな月日を過ごすようになったのですが、20歳のとき自分の醜悪な心を意識し始め、自分は永遠に滅びてしまう危機にあることを自覚したのです。ブレイナードは礼拝出席を守り、勤勉を心がけ、自分の行動を絶えず監視し、祈りに励み、天国への階段を一歩一歩登ってゆく努力を続けたのです。

 しかし、神の戒め(律法)を悉く実行することは不可能でした。決意を新たにし、より完全な人間になろうと努力しても、現実の自分と理想的な自分とは遠くかけ離れていて、神の戒めを繰り返し破ってしまう惨めな自分を発見するのみでした。使徒パウロがローマの信徒に宛てた手紙の7章で述べている「わたしは何と惨めな人間であろう!」という呻きにも似た叫びは彼の現実体験でした。人は行いによっては救われず、ただキリストを信じる信仰のみ救われるのであり、修行としての祈りや善行の積み重ねは、救いの確信をもたらさないと聖書から学んでも、今までの努力は全く価値がなく無駄であることを認めることは耐え難いことでありました。そこで彼は前にも増して神の前に正しいと思われることを努めて実行し、断食して祈りを積み重ねます。ブレイナードは何とかして自分の行為・努力で救いを達成しようとしたのです。

 21歳になった時、イエス・キリストによって命の道が示されるように、真剣に神に祈り始めました。その結果、信仰とは神からの賜物であり、自分のものとして常に独占することが許されないものであること、またどんな優れた行為を積み重ねても、見返りとしての信仰を神に要求することは出来ないと悟ったのです。

 聖書は語ります。「今や神の義が、律法(の行い)とは別に現われた。それはイエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべて信じる者に与えられるものである。」(ローマの信徒への手紙3章21−22節)。神の義が与えられるということは、罪深い私たちが自分の行いによってではなく、神の恵みによって、イエス・キリストによるあがないによって、信じる者に義が与えられるということです。「義とされる」とは、罪赦されて、神と和解し、父なる神に「神の子供」として受け入れられ、救われるということです。

 ここから、ブレイナードの真実の信仰と救いを求める本当の祈りが始まるのです。それまでの彼は、イエス・キリストを抜きにして、救いを達成しようとしました。でも心の平安と喜びを得ることはできなかったのです。彼は行いの積み重ねによる救いの達成努力を捨てました。「律法(神の戒め)によっては、罪の自覚が生じるのみである」(ローマ3:20)ことを率直に認め、「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、」ただ「価なしに、神の恵みにより、キリストのあがないのよって義とされる」(ローマ3:23)ことを求めたのです。

 ブレイナードは「神によって義とされる」ということが、本当の自己体験となることを祈り求めたのです。21歳の夏、7月12日に彼は神の輝かしい臨在に触れて、言い尽くせない喜びに包まれました。聖書に「キリストは永遠にいます方であるので、変わらない祭司の務めを持ち続けておられるのである。また、彼はいつも生きていて彼らのために執り成しておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである」(ヘブル人への手紙7章24−25節)とありますが、ブレイナードはキリストの執り成しにより、「義とされる」真実の救いを体験したのでした。ブレイナードはその時以来、祈りによる神との交わりを、何にも優る宝として一生涯祈り続けたのです。

 21歳の9月、ニュ−ヘブンにあるエール大学に入学し、伝道者としての道を歩み出しました。ところが3年生の時、冗談に言った教授批判が告げ口されて、謝罪したにも関わらず退学処分にあってしまいます。でも、彼の信仰は微動だにしませんでした。24歳の誕生日を迎えた日に、彼は次のように書いています。

「今日は24歳になる。この一年間、私はどんなに多くの恵みを受けたであろう。  神は何としばしば私の前に慈しみを送って下さったことであろうか。“主よ、これからもあなたの栄光のために生きることが出来ますように助けてください。”神をほめよ。今日は私にとって素晴らしい幸いな日であった。とりなしの祈りのために、私の魂がこれほど引き出されたことはないように思う。神の奉仕に携わり、神の栄光を現わすために、私の生涯を使い尽くしたいと願う。」(4月20日)

 これに続く日記を部分的に紹介しましょう。
「1742年4月21日。大いなる静寂のうちに、多くの魂のために争う。非常な  熱意をもって執り成しをする。最近、人のために執り成すとき、他のどんな祈りをする場合よりも、いっそう素晴らしさを感じている。」

「4月25日。密室での二時間、不滅の魂のために苦しみあえぐ。朝未だ早い時であったが、体じゅう汗でびっしょりになる。神の小羊の柔和と穏やかさが私の魂の内に成就することを求めるように迫られる。神の恵みにより、今朝それを強く感じた。手ごわい敵から加えられる一切の悪を赦すことは何と素晴らしいことであろう。…私の望みの全ては、更に清くなり、愛する主に似ることである。」

「4月27日。早朝、ひそかな神との交わりのために退く。祈っているとき、神が私の魂に言い表し尽くせない慰めを注いでくださったので、暫くの間、繰り返し、“おお、救い主よ、わが救い主よ、わたしはあなたのほか誰を持ち得ましょう。地上にはあなたのほか慕うものはありません。”という以外に何もできなかった。…それは今まで経験したもののうち、最も清くされ、最も霊的に引き上げられた神との交わりのときであった。」

「6月18日。自分が伝道の業に全く相応しくないこと、霊的に死んだような現在の状態。神の栄光のために何をする力もないことを思い、また自分が無力であること、主が私を通してなされる御業に対して余りにも整えられていないことを感じたので、この一日を神に祈る一日と定め、殆んど一日をそのために費やす。」

「6月30日。断食と祈りの内に、ひとり森の中で一日を過ごす。」

ブレイナードは1742年に伝道者として説教する資格が与えられます。そして祈りの中で、最も伝道が困難と思われるインディアン伝道を神に示され、1743年2月にインディアンの住む地へ向かったのです。25歳になった4月、ブレイナードは次ぎのように書いています。

「私はアルバニーから30キロほど離れた所に住んでいる。ここはこの上なく心細  い荒涼とした荒野である。現在、貧しいスコットランド人と一緒に生活している。  私の泊まっている所は床板のない丸太造りの部屋である。私の仕事は大変困難である。インディアンの住む地から離れた所に住んでいるので、毎日2キロ半ほど歩きにくい道を往復しなければならない。…“主よ、キリストの兵士として苦しみを忍ぶことを学ばせてください。”」

「5月18日。神による慰め以外には何の慰めも無い。その上、英語で話し合える人は一人しかいない。(ブレイナードの通訳者、若くて聡明なインディアン)…ここのインディアンの生活問題は非常に深刻である。この地方に移住してきたオランダ人が、ここは自分たちの土地であると主張し、インディアンを脅迫して追い出そうとしている。しかし、インディアンにはこの土地以外に住む場所はない。オランダ人はこれら哀れなインディアンの魂を顧みようとはしない。その上、私がこの地に伝道に来たために、彼らは私を憎んでいるようである。」

「11月30日。インディアン語を勉強する。ああ、納屋でも、馬小屋でも、その他どこであっても、神がそこにおられるなら、誠に良い所となる。」

「1744年(26歳)7月24日。一群のインディアンの住む地をめざして西方27キロほど馬で旅行する。約30人が集まる。説教して、彼らの間に宿る。私の願いの全てはこの異教の民の回心であり、私の望みの全てはただ神にある。」

「9月26日。670キロ以上の馬による旅行を守り、私の骨をことごとく守り、その一つだに折られることのないようにしてくださった神に、どのように感謝したらよいだろうか。」

「10月3日。私たちは荒野を進んでゆく。これほど困難で危険な旅行はかつて経験したことがない。険しい山々、深い谷、危険な岩石のほか、殆んど何も見当たらない。日も暮れようとする頃、私の乗っていた馬が岩石の合間に足を踏み入れ、転倒した。神の憐れみにより、私は怪我をまぬかれた。しかし馬の足は折れ、人家まで50キロもあるので、馬の命を助ける手立ては全く無い。その馬を殺し、徒歩で旅行を続ける以外方法はない。夕闇の迫るころ焚き火をする。特に霧のひどい夜なので、潅木を少し切って頭上に覆いを作り、霧を防ぐ。祈って神に委ね、土の上に横たわり、静かに眠る。」註
 
 このようにして、ブレイナードは日夜労苦し、多くの時間を祈りと断食に過ごし、インディアンの救いのために伝道したのです。詩篇126篇5節に、「涙をもって種を蒔く者は、喜びの声をもって刈り取る」とあります。喜びの声を挙げる時が1745年、ブレイナード27歳の夏、8月8日に起きました。彼が説教している時、神の力が「激しい風が吹いてきたようにインディアン会衆に臨み、彼らを圧倒しました。彼らは自分の魂の危機を感じ、悩み、神に祈り、呻き、やがてイエス・キリストによる罪の赦しと平安に満たされてゆきました。このニュースは広まり、インディアンはうわさを聞いて集まり、同じように回心して救われていきました。

 1746年、ブレイナードが28歳になると過労のため、結核菌に冒され、高熱と悪寒に苦しむようになりました。不治の病と知っても、ブレイナードは馬に乗って伝道旅行を続けました。そして、多くのインディアンをキリストに導き、1747年2月14日、28歳の若さで生涯を終えて、神のもとに召されてゆきました。
 
私たちはブレイナードの生涯から何を学ぶことができるのでしょうか?第一は、粘り強い熱心なとりなしの祈りは、多くの人々の魂をイエス・キリストの救いに導くということです。ブレイナードは若き日に自分の救いの確かさを粘り強く祈り求め、繰り返し神の臨在を体験しました。とりなしの祈りは彼の伝道の秘訣でありました。しばしば神と格闘するような祈りによって、インディアン族の間にリバイバルを起こし、多くの部族を救いに導きました。祈りはあらゆる困難を乗り越えてインディアンの救霊のために伝道する勇気と力をもたらす源泉となったのです。

第二は、神に捧げ尽くす信仰の生涯は多くの人々に感化を残すということです。ブレイナードが残した「日記」には、粘り強く祈りぬくことによって神から起こされる恵みの業が述べられています。人の魂をキリストに導く努力は、最大の隣人愛であることを「日記」は人々に強く印象づけました。インド伝道で有名なウィリアム・ケリーは「ブレイナードの日記」を読んで、インドに向かう勇気が与えられたと言われています。アメリカ18世紀の著名な神学者、ジョナサン・エドワードは、ニューイングランドの信仰覚醒に大きな貢献をした人ですが、ブレイナードの「日記」から霊感を受けた人なのです。28歳の若さで亡くなりましたが、彼の祈りの生涯が記録された「日記」は、現在に至るまで人々に深い感銘と影響を多くに与えています。

第三は、自分の才能、時間、財産などを神に捧げるものが多くなるほど、神ご自身から受ける恵みが多くなるということです。ブレイナードはインディアン伝道という最も困難な、十字架を負う道を歩みました。彼は自分の全てを神に捧げたことによって、天地の造り主、すべての善きものをもって満たす神ご自身によって魂が満たされる体験をし、それを何にも優る宝と感じ、伝道者として走り抜きました。

 私はまだまだ、この世のものに執着し、自分の才能、時間、宝を神に捧げきってはいない自分を思います。もっと神と交わる祈りの時間を大切にしたいと思います。

註 日記からの引用文はオズワルド・J・スミス著『ブレイナードの日記』(いのちのことば社出版部訳、いのちのことば社、1974年)からなされました。

 













 

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