狭い門から入りなさい
   
  



Message 49                                              斎藤剛毅

「人の人生は分かれ道、分岐点において決定される」という言葉があります。かつて教会に出席して、求道を続けた方々は、時が満ちて、イエス・キリストを自分の救い主と受け入れるか、或いは拒むかのいずれかを決断しなければならない時を体験されたと思います。そして信仰への決断がその後の自分の人生に大きな違いをもたしたことを良くご存知のはずです。

信仰決断が私と妻の人生を大きく変えることになりました。私は東京板橋区の常盤台教会で、妻は福岡の甘木伝道所でクリスチャンになる決心をし、私は伝道者として生涯を神様に捧げることを、妻は神様に喜ばれる生涯を送りたいという願いを強く持ちました。神様は私を西南学院大学神学部3年編入へと、妻は児童教育科を経て福岡バプテスト教会付属幼稚園教師として働くうように導かれました。私たち二人は福岡教会で出会い、結婚へと導かれました。信仰決断なしに、二人の福岡での出会いは無く、牧師となった息子も牧師の妻となった娘も生まれなかったのです。

1963年春に神学専攻科を卒業してから49年が過ぎ去りました。その間に兵庫県明石市に開拓伝道、アメリカ留学、福岡南区長住教会牧師、アメリカ・KY州レキシントン市イマヌエル・バプテスト教会で日本語礼拝牧師、福岡女学院大学で聖書概論やキリスト教学を教えながら、福間教会の臨時牧師、二日市教会の協力牧師、筑紫野南伝道所の協力牧師を務め、2006年に大学を退職してから早くも6年が過ぎ去りました。49年の間に七つの開拓伝道に関わり、多くのクリスチャンが生まれるお手伝いをし、日本とアメリカに、人生の宝である信仰の友が多く与えられました。

詩人、ジョン・オクセンハムは次のような詩を書きました。
  誰にも道が開かれている / この道、あの道、多くの道が。
  高い魂は高い道を歩み、低い魂は低い道をたどる。
  その間の曇った平たい道をその他の人々が往き来している
  誰にも道が開かれている / 高い道と低い道が。
  一人一人の魂が選び取り歩む道が。

 イエス様はおっしゃいました。「狭い門から入れ。滅びに至る門は大きく、その道は広い。そして、そこから入っていく者が多い。命に至る門は狭く、その道は細い。そして、それを見出す者が少ない。」(マタイ福音書7章13−14節)。このイエス様の言葉に、滅びへの道に向かう多くの人々への深い悲しみが込められています。
 
二つの道の違いはなんでしょうか?第一の道は永遠の命に至る狭い門に通じている細い道です。その道を歩む人々は、その途上で数々の困難に出会い、艱難・苦難を体験し、信仰の訓練を受ける道です。試練の中で忍耐の力が養われ、神の愛の鞭を受けながら傲慢な自我が打ち砕かれ、謙虚な練達した働き人に変えられていく道です。
第二の道は、滅びに至る大きな門に通じている広い道です。その道は放縦の道、失望への道、誘惑に負けて自己嫌悪の深みに落ちてゆく道、悔い改めを拒む道、神に背を向け、神の呼びかけに対して頑固に自分の生き方を肯定してゆく道です。人間を創造なさった父なる神は、滅びに至る道を歩む人々に対して、心を痛めて祈り待っておられるのです。そして、悔い改めて立ち返る者を心から喜び迎え、赦して下さるのです。

イエス様の弟子ペテロも他の弟子たちも招きに従う決断をした人たちでした。自分たちの弱さをさらけ出しながらもイエス様に愛され、弟子訓練を受けた人たちでした。イエス様の復活を体験し、聖霊の力を受けてから、多くの人々に福音を語り、魂の救いをもたらしましたが、その過程で人々から批判され、迫害され、最後は殉教の死を遂げました。その道は困難を伴っていましたが、心は神の平安と恵みに溢れ、主イエスへの感謝と喜びに満たされていたのです。
使徒パウロも数知れない困難と迫害に遭いながら次のように語りました。「わたしは世を去る時が来た。わたしは戦いを立派に戦い抜き、走るべき行程を走りつくし、信仰を守り通した。今や義の冠がわたしを待っているばかりである」(IIテモテへの手紙4章6−7節)。義の冠は神様からのご褒美、祝福です。

1999年10月、77歳で天に召されたクリスチャン作家、三浦綾子さんは、朝日新聞の一千万円懸賞小説に応募した『氷点』で入当選し、新聞に連載されて一躍有名になりました。その後、「積み木の箱」、「続氷点」、「塩狩峠」など多くの優れた小説を書き残しました。「道ありき」、「この土の器をも」、「光あるうちに」の自叙伝三部作は読む人々に感銘を与える信仰作品でした。エッセー集『泉への招待』の中で「広き門」という随筆を書いているのですが、その中に友人A子が登場します。彼女はすらりとした体、滑らかな肌、知性的で情のこもった眼差し、経済的に何不自由のない商家の娘で、生け花、茶道、絵画、日本舞踊を習い、詩も書く女性でした。しかし、A子は太く短く生きる放縦の道、したい放題のことをして生きる道を選びます。いつもトップモードの洋服で身を飾り、男と遊び歩き、遂には妻子ある男と大阪に駆け落ちしてしまいます。結核にカリエスを併発して札幌医大病院に入院した綾子さんをA子は訪ねます。そして「したいことを次々と(自己快楽のために)することは、それほど幸せなことでも楽しいことではないわ。何だか空しくなるばかりなのよ。男の人と恋愛しても、ニュ−ファッションを追ってみても、結局どうということもないのよね」と語ります。

綾子さんは聖書を開き、「狭い門から入れという言葉をどう思う?狭き門から入ると幸せの国に入れるのよ。ただしね、狭き門だから、自分も細くならなければならないの。自分だけ可愛いという思いや、傲慢や、色々な執着や、そういう不要なものを脱ぎ捨て、細くなるの」。「なるほどね、わたしはしたいことだけをしてきたから、ずいぶん太っちょで、とても狭い門から入れないわ。広い門でなければ。」彼女はそう言って帰ってゆきました。A子は綾子さんを見舞って翌年の春、滅びに至る道を歩む空しさに耐えかねて自殺してしまいます。三浦綾子さんは友人の死を深く悲しみながら書いています。友人をキリストの元に導けなかった辛さが滲み出ています。註@

預言者エレミヤは神の声を聞きました。「あなたは民に言いなさい。『主はこう仰せられた。見よ、わたしは命の道と死の道をあなたがたの前に置く。』」(エレミヤ書21章8節)。イスラエルの民をエジプトから脱出させたモーゼは民に語りました。「見よ、わたしは今日、命と幸い、および死と災いをあなたがたの前に置いた。…あなたがたは選ばなければならない。」(申命記30章15−19節)。この声は私たちに語りかけられているのです。死と災いの道ではなく、命と幸いの道を勇気をもって選び取って欲しいという神の強い願いがその背後にあるのです。

茶道を精神的芸術にまで高めた千利休は、豊臣秀吉から切腹を命じられたのですが、その理由の一つに利休がキリシタンであったためとも言われています。千利休が考案した茶室の「にじり口」はイエス・キリストの言葉、「狭い門から入れ」の具体化と考えられています。三浦綾子さんの作品、『千利休と妻たち』の中に、おりきという女性が登場します。美しい才女で茶道にたけていた女性で、千利休は十年以上恋し続け、ついに後妻にしたという人です。茶のふくさの寸法も彼女が決めたと言われています。キリシタン聖堂に入って、説教を聴いたおりきが、その話を利休に聞かせるのです。

「天国(はらいそ)に入るためには狭い門から入らねばならぬと伺いました。狭い門から入るためには、すべての持ち物を捨てねばなりません。身分という持ちものも、財産という持ちものも、傲慢というもちもの、美しい姿形、学問という持ちものも持っては入れない狭い門をくぐらねば天国に入れぬと伺いました。それらの持ちものは天国では何の役にも立ちませぬ。そればかりか、かえって邪魔になるそうでございます。」註A

その言葉を聴いて利休は、ふと何一つ持たぬ人間が頭を低くして門をくぐる様を心に描くのです。利休はおりきに襖を開けさせ、頭を下げて、にじり進むことを命じます。そして、喜び語ります。「おりき!出来た!出来たぞ。…そなたの手柄じゃ。茶室に入る者は、大名といえども、天下人といえども、一様にへりくだらねばならぬ。天国に入るのと同じ心じゃ。まず茶室の前に座って、茶室に入る心を整える。そしてそなたが今したように、すべての者が膝をにじって入るのじゃ。この心がなければ、真の茶の湯は成り立たぬ」。註B このようにして、人が入るに可能な入口の見当をつけて現代の茶室に造られている「にじり口」が考案されたというのです。

人間社会では一流学校や一流会社に入ることは狭き門と言われます。しかし、それは永遠の命に至る狭き門ではありません。一流校を卒業して立身出世の道を歩んだとしても、その人が神の前に自分の偉さを誇る人であれば、滅びに至る広い道を歩いている可能性があるのです。自分の学歴、地位、業績を誇らず、謙遜に生きることの大切さをイエス様から教えられます。「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という俳句があります。また地位、学歴が無いからといって劣等感に陥る必要もありません。人は人、自分は自分、与えられた能力、才能を活かして喜び生きなさいと、主なる神様は言われるのです。

私たちは命に至る細い道を歩む決断を日々求められています。罪深くても、十字架の贖罪によって全ての過ちを赦して下さる神の愛を受け入れ、信じ続けて、艱難に耐え、義の冠をうける復活の栄光に到着しましょう。あなたの前には命への道、死と滅びへの道があります。あなたはどちらの道を選んで生きますか?

 註@ 三浦綾子『泉への招待』日本基督教団出版局、1983年、19−24頁。
 註A 三浦綾子『千利休とその妻たち』(下)、新潮文庫、79頁。
 註B 三浦綾子『千利休とその妻たち』(下)、新潮文庫、82頁。

 













 

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