混沌の闇から光へ〜三浦綾子さんの場合〜
   
  



Message 48                                              斎藤剛毅

  クリスチャン作家、三浦綾子さんは1999年10月12日に多臓器不全のため亡くなり、イエス・キリストの元に召されました。今日は精神的混沌と虚無の中から光明の世界へと救い出され、信仰心をもって小説を書き続け、クリスチャン作家としてその生涯を神のために捧げ尽くした三浦綾子さんについて語ります。

  日本が太平洋戦争で敗北し、無条件降伏をした後に、アメリカ軍が国内に進駐して来ました。アメリカ司令部の命令で戦時中に使用していた歴史の国定教科書のいたるところを墨で真っ黒に塗り消す作業を小学生の教え子たちにさせながら、綾子さんは「正しいと信じて教えていたことが過ちだったならば、自分は子供たちに手をついて謝らなければならない。自分は最早教壇に立つ資格はない。何が真理なのかを知らぬまま教えるよりも、早く退職して誰かのお嫁さんになってしまおう」と考え、軍国主義時代の教師であったことを悔いて、教師を辞職したのです。

 そんな綾子さんの前に現れたのが西中一郎さんでしたが、悲しいことに結納の日に綾子さんは脳貧血で倒れ、更に悪いことに肺結核になってしまったのです。生徒たちに誤ったことを教えてしまったという自責の念がありましたから、当然の罰を受けたのだと綾子さんはむしろ発病を喜んだのでした。三年して退院した綾子さんは西中一郎氏に結納金を返しに行き、帰りがてらもっと早くきっぱりと分かれていたなら、彼は健康な人と結婚して幸せな家庭を築いていたかもしれないと考え、何と自分は思いやりの無い人間なのかと自分を責め始めて、夜の海に足を向けました。「私の病気は何時直るか分からない。この世に生きて人に迷惑をかけ続けるよりも死んだ方がいいのではないか?今死んでも50年後に死んでも、つまるところ同じことではないか」と思い詰めてゆきました。

 真っ暗な夜、時計が12時を告げた時、綾子さんは海の深みへと一歩一歩と進んでいったのです。その時、水しぶきが目の前に踊り、綾子さんの肩は西中一郎さんの手でしっかりと摑まえられていたのです。生きる希望も使命感も薄れ、人に迷惑をかけながら生きてゆくことに嫌気がさした綾子さんの心には虚無の闇が暗く立ちこめ、自殺へと歩む途中、危機一髪で助けられたのでした。助けられたものの綾子さんの心には空しさが強く残っており、旧約聖書の創世記1章1節にある「混沌」の闇が濃く魂に広がっていたのでした。

 そんな綾子さんの前に現れたのが幼なじみの前川正さんでした。同じ結核を患っており、クリスチャンの家庭に育った青年でした。旭川の実家に帰った綾子さんの所に前川が訪ねて来て、河原で話し合いの時を持ちました。その時、前川は哀願するように言いました。「今の綾ちゃんの生き方はあまりにも惨めすぎるよ。自分をもっと大切にする生き方を見出さなくては…」と言って声が途切れました。大粒の涙が目からこぼれていたのです。綾子さんはそれを冷ややかな目で眺めながら、煙草に火をつけました。「綾ちゃん!だめだ!あなたはそのままでは死んでしまう!」と叫ぶと、傍らにあった小石を拾い上げると、突然自分の足をゴツン、ゴツンと続けさまに打ちました。「綾ちゃん、ぼくは今まであなたが元気に生き続けられるように激しく祈ってきた。あなたの救いのために祈った。しかし信仰の薄いぼくにはあなたを救う力が無いことを思い知らされたのです。だからこんな不甲斐ない自分を罰するために、自分を打ち続けているのです。」

 「神が“光あれ!”と言われた。すると光があった」と旧約聖書の一章3節に述べられていますが、前川正の言葉と共にほとばしり出る彼の愛が綾子さんの全身を貫いたのです。頑固に神を信じ受け入れることを拒み続けてきた綾子さんの自我が砕かれたのです。綾子さんは前川正の背後にある不思議な光を見たように思いました。この光はなんだろう?キリストの光ではないのか。その時、綾子さんは久しぶりに人間らしい涙を流したのです。自分を女としてではなく、人間として愛してくれるこの人が信じるキリストを、自分なりに求めてみようという思いが起こされたのです。

 これは神の聖霊が働くときに、人間の魂に起こされることなのです。神は人間の真実の言葉、純粋な愛の言葉を通して働かれるのです。神の新しい創造の言葉が綾子さんの心に確実に働き始めました。彼女は酒も煙草もやめました。前川正の真剣さに応えようと思うようになりました。教会に行くようになり、聖書を読み始めました。求道生活が真面目になるに従って、自分の体を大事にするようになりました。同じ結核の病を患っている前川正の愛に誠実に応えたいと思いつつも、綾子さんの結核は悪化し、脊椎カリエスが併発してベッドに伏して動けぬ身となってしまいました。

 前川正はかつて北海道医学部の学生でしたが、結核の病状が悪化し、喀血し、綾子さんの誕生日に全身全霊を注ぎだして手紙を書き、綾子さんは顔を天井に向けたままその内容を読み、涙を流しました。そして、前川正さんは35歳の若さでキリストの元へと召されたのです。彼の死を悲しみつつ綾子さんは思いました。「あの人は元気になって教会に行きたかったのだ。だから自分は何としても元気になって教会に行き、クリスチャンになり、彼の信仰を受け継いで生きよう」と考え、1952年に信仰告白をし、バプテスマ(洗礼)を受けました。

 そんなある日、文通をしていた患者の仲間の友人に紹介されてやって来たのは三浦光世さんでした。綾子さんは光世という名は女とばかり思って訪問を受諾したのですが、綾子さんの前に現れたのは前川正にそっくりの男性、三浦光代さんでした。彼は綾子さんのために祈りました。「神様、私の命をあげてもよろしいですから、どうか綾子さんを治してあげてください。」綾子さんはとても感動しました。やがて二人の間に愛が芽生えた時、光世さんは言いました。「病気が治ったら結婚しましょう。あなたが直らなければ僕も独身で通します。」三浦光世さんの愛に励まされ、支えられて綾子さんは元気になり、二人は結婚しました。綾子さん37歳、光世さん35歳の時です。共に初婚ですが、二人は信仰に立って神様のために喜ばれる人生を生きる決心をしたのです。

 三浦綾子さんが一躍有名になったのは、雑貨店を営みながら書いた小説、人間の原罪をテーマにして書いた『氷点』が朝日新聞の一千万円懸賞小説に当選した1964年以来です。『氷点』はベストセラーになり、テレビドラマで放映され、多くの人に感動を与えました。三浦夫妻が「神様、自分たちを神様の御用の器として用いて下さい」という祈りが聞かれたのです。そして、次々と優れた小説が生まれました。『続・氷点』、『塩狩峠』、『道ありき』、『この土の器にも』、『光あるうちに』(自伝三部作)、『天北荒野』、その他があります。「罪と神による赦し」が三浦文学を貫く中心テーマでした。

 1982年に直腸がんの手術を受け、92年にはパーキンソン氏病を患い、入退院を繰り返し、94年には戦前の治安維持法違反事件を取材した小説『銃口』を執筆し、98年には旭川市に三浦綾子記念文学館が開設されました。

 月面の石は遠い地球から眺められているだけでしたら何の価値もありません。しかし、宇宙飛行士が月に降り立ち、石を拾い上げて地球に持ち帰ると大きな価値が生じます。それと同じように、神様の手に拾い上げられ、神様の御用のために用いられますと、大きな価値ある働きをすることが出来るのです。三浦綾子さんは神様の御手に拾い上げられ、神様の御用のために大きく用いられた器であったと言うことが出来ます。

 私たちはNo.1をめざして優劣を競い合いながら生きています。しかし、そのような生き方をしなくても良いことを聖書から教えられます。私たちはNo.1でなくても良いのです。なぜなら私たち一人一人は父なる神様からOnly Oneの価値ある者として愛されているからです。その深くて大きな愛を受けて生きる時、私たちは神の愛の中で生きる意味と罪赦された者としての平安の喜びに生きるようになるのです。自己嫌悪から解放されて、自分を受け入れるように変えられるのです。No. Oneではなく、Only Oneに生きましょう。
            
 最後に、SMAPによって歌われた梶原敬之さんの作詞・作曲の「世界に一つだけの花」の歌詞が、メッセージの締めくくりに相応しいので引用させて頂きます。

「世界に一つだけの花」

 花屋の店先に並んだいろんな花を見ていた ひとそれぞれの好みはあるけど
 どれもみんなきれいだね この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで
 バケツの中 誇らしげに しゃんと胸を張っている

 それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
 一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?

そうさ 僕らも 世界に一つだけの花 一人一人違う種をもつ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい


困ったように笑いながら ずっと迷っている人がいる
頑張って咲いた花はどれも きれいだから仕方がないね
やっと店から出てきた その人が抱えていた
色とりどりの花束と うれしそうな顔

名前も知らなかったけれど あの日僕に笑顔をくれた
誰も気づかないような場所で 咲いていた花のように

そうさ 僕らも 世界に一つだけの花 一人一人違う種をもつ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから
NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly One

 













 

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