舌を制することの難しさ
   
  



Message 44                            斎藤剛毅

  舌は小さな器官であるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、大きな森を燃やすではないか。舌は火である。不義の世界である。舌は私たちの器官の一つとして備えられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。あらゆる種類の獣、鳥、這うもの、海の生物は、すべて人類に制せられてきた。ところが、舌を制しうる人は、一人もいない。それは制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。私たちは、この舌で父なる主を賛美し、またその同じ舌で、神にかたどって造られた人間を呪っている。同じ口から、賛美と呪いとが出て来る。わたしの兄弟たちよ、このような事はあるべきではない。泉が、甘い水と苦い水とを、同じ穴から噴出すことがあろうか。(ヤコブの書3章5−11節)

この箇所を読んで、私は「本当にそうだ」と思います。「舌は小さな器官であるが、よく大言壮語する。」大言壮語の例は、使徒ペテロです。「主よ、私は獄にでも、また死に至るまでも、あなたと一緒に行く覚悟です」と勇気ある言葉を述べ、イエス様が捕らえられると、大祭司の邸宅に忍び込み、寒いので中庭の焚き火の近くに座ってイエス様の安全を見守っていたのですが、「あなたはあのイエスと一緒にいた人だ」と言われますと、獄死すら恐れないと豪語したぺテロは、三度も弟子であることを否定して、生涯忘れられないイエス様の悲しみのまなざしを受けてしまいます。そして、自分の弱さと臆病をさらけ出してしまったことを悲しみ、外に出て号泣したと福音書に語られているのです。
 
「舌は火である。不義の世界である」とヤコブは語ります。事実無根のことを語り、人の名誉を傷つける中傷は、ゴシップとして噂されますと、噂に尾ひれが付いて拡張され、始めとは程遠い内容に変ってしまうのです。中傷は刃物を使わずに相手に致命傷を与えるので、刃物を使う殺人よりも危険であると言われます。人を中傷する人は遠くから噂を流すだけで相手を深く傷つけることが出来るのです。ごく小さな火でも、大きな森を燃やすように、ゴシップはあっという間に拡がります。魚はいつも口で
釣られますが、人間もやはり口にひっかかるのです。

使徒パウロは「悪い言葉を一切あなた方の口から出してはいけない。必用があれば人の徳を高めるのに役立つ言葉を語って、聞いている者の益となるようにしなさい。神の聖霊を悲しませてはいけない」(エペソ人への手紙4:29−30)と述べています。パウロは人が如何に悪口を言う存在であるかを自分の経験から熟知していたのです。パウロは回心以前の青年時代に、クリスチャンを激しく迫害しました。その時にクリスチャンたちに浴びせたひどい批判とそしり、悪口の数々が想像されます。「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか。」復活されたイエス様の声を聴いて回心した時、人に厳しい批判と悪口を浴びせかけることは、実はその人に宿るイエス様にしていることだと悟ったのです。イエス様は復活された後に、聖霊としてご自身を顕わされ、信じる者の霊に宿られるのですから、悪い言葉を語り、人を傷つけることは、他ならぬ神の聖霊を傷つけ、悲しませることだとパウロは確信したので「神の聖霊を悲しませてはいけない」と述べているのです。

「舌は全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる」とヤコブは語ります。国会議員が地方講演や国会答弁の際に語った失言が時々大きな問題となり、誠に苦しい弁明や謝罪を余儀なくされ、大臣の職務すら辞することが時々生じます。まさに失言ゆえに「自らは地獄の火で焼かれる」苦い体験を自分に招くのです。「舌を制しうる人は、一人もいない。それは制しにくい悪であって、死の毒に満ちている」とヤコブは語ります。私たちは陰湿ないじめによる自殺が小中高の生徒に生じていることをニュースで知り、悲しい思いにさせられます。いじめの対象者に浴びせられる言葉は死に至らせる毒に満ちているのです。人を厳しく批判し、いじめを行う人は、慣れてくると当たり前になってきます。そして、それがどんなに自分の評価を落としているかが分からなくなる麻薬のような悲劇を生み出すのです。

日本では毎年3万人を超える自殺者が出ていますが、人口に対する自殺率が世界で一番高い国は韓国なのです。俳優のパク・ヨンハが自殺した衝撃が日本人ファンの間に走りました。韓国の芸能人に自殺が多いのは、インターネット時代の象徴である書き込みによる厳しい批判・中傷による人気喪失の結果、絶望感に陥り、また精神科に通っていることを世間に知られたくないという思いも重なって、自らを死に追い込むことになると報じられています。インターネットを通しての書き込み言葉も、悪意で表現されますと死の毒に満ちたものとなります。

「私たちは、この舌で父なる主を賛美し、またその同じ舌で、神にかたどって造られた人間を呪っている。同じ口から賛美と呪いとが出て来る。わたしの兄弟たちよ。このような事はあるべきではない」とヤコブは語ります。キリスト教国アメリカに合計8年近く滞在した私は、美しい賛美歌の声を数多く教会で聴きましたが、映画やドラマで語られる人々の会話に呪いの言葉がよく出てくるので驚きました。「罰当たりめ!」(ゴッデム、God condemnの略)、「淫らな女の息子!」(Son of bitch)などが良く出てきます。「同じ口から、賛美と呪いとが出て来る。わたしの兄弟たちよ、このような事はあるべきではない」と語るヤコブの言葉に耳を傾けなければならないのは神の国の住人となるために、舌を制する訓練が必用だからです。

特に注意しなければはならないのは、親しい仲間と自由におしゃべりしている時なのです。会話中に虫の好かぬ嫌いな人が話題になった時、往々にして批判と悪口が迸り出るからです。褒めることはめったにありません。その時、ヤコブが手紙で語っているように、舌が制しにくい悪に変わってしまうのは、人間の内にパウロが語る「肉」(サルクス)という悪に傾く傾向があるからです。

 使徒パウロは舌を制して正しい言葉を語るように諸教会や弟子テモテに宛てた
手紙の中で繰り返し書いています。
 父なる神が、あなた方の心を励まし、あなた方を強めて、すべての良い業を行い、正しい言葉を語る者として下さるように。(IIテサロニケ2:16−17)
 いつも塩で味付けられた、やさしい言葉を使いなさい。(コロサイ4:6)
あなたは年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範となりなさい。(Iテモテ4:12)
 使徒パウロはまた、舌を制して悪い言葉を語らないように諸教会や弟子テモテに宛てた手紙の中で書いています。
 卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらはよろしくないことである。(エペソ5:49)
 俗悪で愚にもつかない作り話を避けなさい。(Iテモテ4:79)
愚かで無知な論議はやめなさい。それは、あなたがたが知っているとおり、ただ争いに終るだけである。主の僕たる者は争ってはならない。(IIテモテ2:23−24)
そしる人…そんな人と交際してはならない。(Iコリント5:11)

 新約聖書はギリシャ語で書かれているのですが、使徒パウロが罪を表す五つの単語を用いています。一番多く、また普通使われているのは、神に背く的外れの生き方を意味する「ハマルティア」です。正しいことと悪いことを区別する一線を踏み越え、悪へ走ることを意味する語は「パラバシス」で、すべって踏み外すことを意味するのは「プラプトーマ」です。道徳や法律を犯す不法を意味する「アノミア」、払うべきものを払わない負債を意味する語は「オファイレーマ」です。「主の祈り」で私たちが祈る「わたしたちの罪をお赦しください」の罪は、神様と人に対する義務を果たしていない負い目、負債を意味する「オファイレーマ」が用いられています。
 秘密をつい口をすべらしてしゃべってしまうことによって人を傷つける言葉上の罪は「プラプトーマ」です。つい気を許して油断したために起こしてしまう事故や言葉上のあやまちに陥らないようにとパウロは注意を促しているのです。

使徒ペテロは言葉上の模範をイエス様に見出して、次のように語りました。
「キリストは、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをする方に、いっさいを委ねておられた。さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは癒されたのである。」(ペテロの第一の手紙2章21−24節)
 イエス・キリストの御足の跡を踏み従って、生き抜くことは困難を伴いますが、ののしりかえさず、おびやかすことをせず、主に委ねる信仰で生きたいものです。

 註 このメッセージで使われている聖書の言葉は、口語訳新約聖書によるものです。

 













 

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