今日も十字架を負い続けられるイエス様
   
  



Message 35                            斎藤剛毅

コリント人への第二の手紙1章3〜7節を読みますと、「キリストの苦難がわたしたちに満ち溢れている」(5節)という使徒パウロの言葉に出会います。この言葉は私にとって大きな驚きとして、また常に新しい音色を私の中に響かせる言葉なのです。なぜなら、キリストを救い主と信じている人々の生活、道筋には、キリストが地上でお受けになった苦難の数々が満ち溢れているということ、そして、その苦難はキリストによって「満ち溢れる慰め」をもたらしているとパウロが語っているからです。

パウロは苦難という言葉と一緒に患難という病気と深い関わりのある言葉をも重ね合わせるようにして使っています。それは信仰に生きる生活もあらゆる種類の病気、患難から全く自由であることを保証するものではないということ、そして、病むという人間の弱さのたゞ中で、私たちは神の力と慰めを受け、そして私たちが体験する慰めは人々を慰める力、人の悩みや苦痛をやわらげ、いやす力となって私たちの中にたくわえられるという積極的な解釈がなされていますので、驚きが倍加するのです。これは典型的な積極思考です。

パウロがクリスチャン迫害者から180度転向してキリスト伝道者となり、宣教の旅に赴いて以来、パウロは私たちの想像を絶する苦難と患難を体験しています。具体的にはコリント人への第二の手紙1章8節以下に書かれています。「兄弟たち。わたしがアジアで遭った苦難を知らずにいてもらいたくない。わたしたちは極度に耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらして下さる神を頼みとするに至った」(8-9節)。11章24節以下には「ユダヤ人から40に1つ足りない鞭を受けたことが5度、ローマ人に鞭打たれたことが3度、石で打たれたことが1度、難船したことが3度、そして、一昼夜海の上を漂ったこともある。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過し、飢え渇き、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった」(24-27節)、と迫害体験と伝道途上での苦難を列挙しています。しかし「このような死の危険から、神は救い出して下さったし、これからも救い出して下さるだろう」(1章10節)と述べています。

12章を読みますと、「肉体のとげ」と表現されている病気、患難が語られます。しかもパウロはその病気がサタンによって与えられていると語るのです。サタンは神のようになりたいという高慢の罪によって堕落した天使と言われていますが、神は毒をもって毒を制するという偉大な知恵により、高慢なサタンの使いが、高慢な傾向の強いパウロを砕くために、肉体にとげを与えるという行為を許されているというのです。その病気はパウロにとって大変苦しいものでありましたから、パウロは病気の苦しみから自由にして下さいと、3度も主なる神に祈ったと述べています。しかし、肉体に突き刺っているとげは取り去られず、苦痛のたゞ中で聞いた神の声は「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」という言葉であったとパウロは語るのです(7-9節)。

コリント人への第二の手紙には、パウロの患難、苦難に対する考えがはっきりと述べられています。これは御利益宗教よりずっと深い考えです。「無病息災、家内安全」はどの御利益宗教もかゝげる言葉です。仏教の開祖ブッダも人間の苦しみを分析し、苦しみの原因を解明し、苦しみからどのようにして自由になれるかということを説きました。歴史の中で形成されてきた伝統的宗教も苦しみからの救済を説きます。キリスト教もその要素をもっていることは、イエス様が多くの病気で苦しんでいる人々を癒されたという聖書の記述からも明らかです。しかし、イエス様も使徒パウロも更に次元の高い患難、苦難の理解を示しています。それはどういう理解でしょうか。

それはどんなに求めても苦しみは取り除かれず、苦しみのたゞ中に放置され続け、神の姿はもはや隠れて見えず、魂の闇が深まる中で「わが神、わが神、なぜ私お見捨てになるのですか?」と叫びつゝ、絶望的状態の中に放り込まれてしまって、まさに地獄の苦しみを味わうという苦難の極みをイエス様が味われたという理解を示しているのです。十字架に釘づけられ、焼けるような痛みと喉の乾きに耐え、十字架を見上げる人々の前に、神に呪われ、見捨てられた罪人、やつれ果ててうめく弱い人としてその姿をさらした人がほかならぬ神の御子イエス様だったという理解なのです。しかし、死んで葬られたイエス様が神によって甦らされることにより、死に勝利なさったのは、イエス様の苦難と死を神が良しとされたから、復活が生じたという理解が示されているのです。

このイエス様の苦難と死は、復活後のイエス様の性格を特徴づけることになります。それはイエス様が天国のいと高き王座におられる審判者であると同時に、イエス様は地上での使命を完成させるために迫害と苦難を覚悟で命を投げ出す伝道者と共にいて下さり、苦難と患難の中にいる者たちと共に一緒に苦しみ、時に応じて必要な慰めと力と希望を与えられる主イエス様という特徴なのです。別の言葉で言えば、今日の説教テーマであります「今日も十字架を負い続けられる主イエス様」こそが、復活後2000年以上変らず、イエス様は十字架に釘づけられ、苦しみ続けてこられたのだということ、即ち神のために苦しむ人々と共に苦しみを共にされる方が復活の主イエス様であることを、私たちは聖書から読み取るのです。

それを近代と現代の中に実例を見てみましょう。その一つは20世紀初頭アルメニアで起きたクリスチャン虐殺事件です。その様子を一人の元宣教師が次のように書いています。「真のクリスチャンの何千人かが私の目の前で殺され、私自身も著しく傷ついて死んだ者として遺棄された。それは実に恐ろしい惨憺たる光景であった。しかし、同時に非常な喜びがそれに混じっていた。老若男女ともに残酷に虐殺され、少しの憐れみもかけられなかったが、生けるキリストの力が全員に顕われていた。殺す者ですらその様子を見て皆驚かされた。力が各自の必要に応じて与えられ、ある者は明瞭にキリストを見、またある者は天使などを見、非常な喜びをもって彼らの霊を主の守りに託したのである。実際その日は虐殺の日ではなく、婚宴の日であった」。註@

もう一つは遠藤周作さんが『女の一生、二部サチ子の場合』の中で描いているドイツのナチスによって、ユダヤ人虐殺と強制重労働の目的で作られたアウシュヴィッツ収容所で実際に起きたエピソードです。

一人の囚人が脱走した結果、見せしめに10人が処刑されることになりました。選ばれた10人が飢餓室に連れてゆかれようとした時、一人の男が泣きじゃくり、「女房と子供に会いたい」とうめくように叫んだのです。その時、難を逃れたグループの中から一人の囚人がのろのろと前に歩いてきて、「私をあの囚人の身代りにならせて頂けませんか」と語ったのです。親衛隊将校と部下の顔に狼狽と驚愕の色が走りました。その人の名はマキシミリアン・コルベ、囚人番号16670でした。

日本の長崎に宣教に来られたコルベ神父その人でした。餓死室に入れられて12日たっても死亡しなかったコルベ神父に石炭酸が注射されて死亡したことが伝えられました。夕暮れになり、作業が終了し、囚人たちは整列しました。彼らの前に夕日がバラ色に西の空を染めながら沈んでゆきました。遠藤周作さんは次のように書いています。「あゝ、なんてこの世界は美しいのだろう。昨日まではこの世界は愛もなく悦びもなかった。たゞ恐怖と悲惨と拷問と死しかない世界だった。それが今日、この世界はなんて美しいのだろう。彼らはその世界を変えてくれたものが分っていた。愛のない世界に愛を作った者の存在を・・・」。註A

私は周作さんの作品の中に登場する人の身代りになって餓死室に赴くコルベ神父の中にイエス様の姿を見るのです。イエス様は昨日も今日も明日も変ることなく人に代わって十字架の苦しみをわが身に引き受けようとなさって世界中の至るところに生きておられるのです。私たちと一緒に重荷を負っていて下さり、ある時はおんぶしてつらく悲しい人生の旅路を歩んで下さるのです。私は十字架に貫かれているイエス様の復活を見ます。復活は罪と死への勝利を意味します。

私たちが決して逃れられない患難と苦難と死に直面する時、その場所はイエス様がインマヌエル・ゴッド(共にいます神)として私たちを慰め、力を与え、希望をもたらす場でもあるのです。教会はこの福音を語り、これからも語り続けられる場所なのです。イエス・キリストは苦難に沈む時の私たちの希望の根源です。

註@ サンダー・シング著『聖なる導き インド永遠の書』(林 陽訳、福間書店、  1996年)、169頁。
註A 遠藤周作著『女の一生、二部サチ子の場合』(新潮文庫)、264頁。














 

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