サムエル・ウールマンの「青春」     



Message 30                            斎藤剛毅

新年に際して、サムエル・ウルマン(1840--1924)の詩「青春」を皆様にお届けします。この詩を既にご存知の方もおられると思いますが、作詩者、ウルマン氏はユダヤ系アメリカ人で、アラバマ州バーミングハム市の教育委員会委員長を務めた敬虔なユダヤ教徒です。
この詩に感動した株式会社リコーの部長、作山宗久氏は、ウルマンが作詞した「青春」の原文を求めて、アラバマ州の図書館出かけ、この詩が載っている原本を見出してコピーして帰り、訳して日本に紹介して以来、50〜80代の経済界の人々に愛唱され続けられているものです。私も時折読み返して青春の心を保ちたいと自戒のために読んでいるものです。

青春
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
薔薇色の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき人は初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうと16歳であろうと、人の胸には驚異に魅かれる心、
おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から、美・希望・喜び・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ、悲嘆の氷に閉ざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ、希望の波を捕らえる限り、80歳であろうと人は青春にして己む。

 青春についての黙想
「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をさす」と氏は語ります。「バラの面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さを意味する」と詩います。
 「人生の深い泉」はキリストの言葉「わたしを信じる者は、その腹から生ける水が泉のように湧き出て、川となって流れ出るであろう」(ヨハネによる福音書 7章38節)を連想させます。祈りにより主イエスと深く交わる人は、神から「たくましい意志、ゆたかな想像力、ヴィジョン、炎える情熱、」が与えられます。

「青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。ときには20才の青年よりも60才の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて人は老いる」。これは真実です。
「歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。苦悩、恐怖、失望により気力は地に這い精神は芥になる」。

「人間には永遠を思う心が神によって授けられている」と旧約聖書、伝道の書 3章11節 は語ります。ですからウルマン氏は「60才であろうと16才であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、幼子のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある」と主張するのです。

「君にも吾にも見えざる駅逓が心にある」。私たちは人生という名の列車に乗って未来に向かって旅をしてゆくのです。そしてどのような未来が開かれてこようとも「人から[また]神から、美・希望・喜び・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い」と語るウルマン氏の言葉に「然り、アーメン」の言葉が呼応してきます。
 土の器である私たちの中に宿る宝であるキリストから信仰・希望・愛、真・善・美、喜びと勇気と力を私たちが受け続ける限り、私たちは若いのです。

「霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲歎の氷にとざされるとき、20才であろうと人は老いる」。人が祈りを止め、人が神の言を聞くことを止め、神に背を向ける時、自分の前に暗い影をのみ見始め、人に対しても不満と裁きの心がうずき出すのです。虚無が芽を出し大きくなり、希望の光をさえぎるとき、20才であろうと人は老いてしまうのです。 

「頭を高く上げ、希望の波をとらえる限り、80才であろうと人は青春にして己む [may die young]。80才になり、信仰と希望と愛に生きて、ついに病に倒れて死ぬようなことがあっても、その人は青春の中に死ぬのと同じだ」とウルマン氏は語っているのです。

使徒パウロは語ります。「わたしはただこの一事を努めている。すなわち後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである」(ピリピ人への手紙 3章13-14節)。                                        

 ウルマン氏は、「青春」に生きる心とは人生のある期間、即ち青春期の乙女たちに現われる薔薇色の頬、紅の唇、しなやかな手足を持つ時期に限定される心ではなく、むしろ年齢を越えたものだと謳います。なぜなら「青春」に生きる心とはウルマン氏にとっては心の持ちかたを意味するからです。
青春の心とは「逞しい意志、豊かな想像力、燃える情熱」、「臆病を退ける勇気」、「困難に立ち向かう冒険心」、「理想を追い求める心」、「未知への探求心」、「人生への尽きぬ興味と喜び」なのです。
それゆえに、それらを心から失うと、たとえ20歳であっても人の心は老いてしまうのであり、逆に、たとえ80歳になっても、それらを失わない限り、人は「青春」の心に生きていると言えるのだとウルマン氏は主張します。
敬虔なユダヤ教徒やキリスト教徒は祈りを重んじます。祈る心は神が私たち人間に与えて下さる賜物を受容する心の姿勢であり、能力なのです。神から与えられる信仰・希望・愛、真・善・美、勇気・力、知恵等を受け続ける限り、人の心は若さを保つとウルマン氏は述べています。
新しい年に私たちの心を、暗黒の時が訪れても希望の光の方向へと向け、積極的思考を失わない心の持ち方を保ちたいと思います。
 新年の日々の上に天地の創造者である神様の祝福と恵みを祈ります。













 

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