神は弱い私たちを助けて下さる〜星野富弘さんの場合〜     



Message 20             斎藤剛毅

 ローマの信徒への手紙8章26節の中で、使徒パウロは「み霊(神の聖霊)は弱いわたしたちを助けて下さる」と述べています。弱い私たちとはどういう意味でしょう。私たちは一人ひとり強そうに見えても、肉体的、精神的、気質的な面で人に言えない弱さをもっているものです。又人によって弱さの感じ方が違います。「どうして、それがあなたの弱さなのですか?信じられません。」と言われても、本人はそれが自分の弱さと思い込んでいる場合もありますので、弱さは心理的な要素も含んでいます。

 今回は星野富弘さんの場合を考えてみましょう。星野さんは体操の先生となった位の人ですから、鍛え上げた体の強さには自信がありました。その体が体操の模範演技の際に思わぬ事故により、首から下の神経が麻痺して、寝たきりの状態となってしまったのですから、肉体的、精神的に絶望的弱さに突き落とされてしまったのです。

 この星野富弘さんを「神のみ霊(聖霊)」が助けられたという視点から今日は考えてゆきます。イエス・キリストは「み霊」を「真理の御霊」、「助け主」と呼ばれました。死から甦って、霊の姿を取って今も働き続けられるイエス様は「み霊」において働いておられると考えてよいのです。霊は目で見えませんし、手で触れることもできません。しかし、目で見えず、手で触れることもできない風の存在は、風が吹いて木の葉が揺れるときに分かりますように、イエス様の御霊が働かれる時には、人の心に明らかな変化が生じるのです。

 星野富弘さんの場合も明らかに変化が生じたのです。何が起きたのでしょうか。深い失望の中で、未来に希望を描けず、悲観して自死を考えていた時、御霊は富弘さんの思いの中に、過去の自己体験をインスピレーション映像で与えられたのです。そのインスピレーションとは、子供の時に渡良瀬川で泳いでいて溺れかけた時の思い出映像です。水を飲みながら必死に元の岸に帰り着こうとする努力をしていた時に、渡良瀬川の下流は白い泡が波立つ浅瀬になっている遠景が思い起こされたのです。そこで向きを変え、暫らく流れにまかせて下流の浅瀬まで泳いてゆき、助かったという嬉しい過去の思い出が、インスピレーション映像として甦ったのです。

 これからの自分の人生はお先真っ暗な闇と思われるけれども、今どんなにもがいてもしょうがない。元の体に戻れない。溺れそうになったときに流れに任せて助かったように、自分を襲った苦しい現状を受け入れ、身をまかせて、何とか精神的に一人立ち出来るまで、身動きできない厳しい現実に逆らわずに生きてゆこうという気持ちが起こされて、自殺の道を放棄したのです。ここに、御霊の働きがあったのです。

 いわば開き直りの厳しい現状の受容により、心にゆとりが出来たのです。そこに、更なる御霊の働きが加わります。病室に何も出来ない状態に閉じ込めらてしまった富弘さんの心に、健康な状態では決して心に響かなかった聖書の言葉が、渡良瀬川の下流の白い泡立つ波の音のように響き始めたのです。その一つは、使徒パウロの言葉、「あなたがたの会った試練で、世の常で出ないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、逃れる道も備えて下さるのである。」(コリント人への第一の手紙10章13節)註@
もう一つは、「すべて疲れた人、重荷を負うて苦しんでいる人は、私のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)というイエス・キリストの言葉でした。

 富弘さんはこの世的野心を全て砕かれてしまいました。全てを失ったときに、神の語りかけの言葉を集めた聖書という宝が与えられたのです。そして、神の言葉によって、富弘さんは精神的に苦難に耐えてゆく勇気と希望の力を与えられたのです。そして、神の霊が働き、富弘さんは霊的な意味での新しい命の誕生を体験するのです。 苦しみに耐える力が与えられたものの、彼の未来は混沌として形はないのです。彼が自分をこの世に創造された神の手に委ねた時、また委ねの中で彼が心の底から発した「うめきの祈り」が神に達した時、神の創造的力が動き出したのです。 旧約聖書の創世記1章2節−4節に、「地には形なく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水の面を覆っていた。」「神が『光あれ!』と言われた。すると光があった。神はその光を良しとされた。」とあります。富弘さんの混沌とした魂に、神の霊が覆ったのです。雌鳥が卵を抱いて温めるように、神の霊は富弘さんの魂を神の愛をもって覆ったのです。魂の中に『光あれ!』と神が言われたとき、富弘さんの魂は神の光に照らされて、新しい命が生まれたのです。聖書は「神の子の誕生」と語ります。

 神の子は神から生まれた子供ですから、自分の新しい命の創造者を「父なる神様」と呼ぶようになります。富弘さんは祈る人となりました。人は生ける神との対話、祈りを通して、新しい自分の使命に目覚めてゆきます。富弘さんはそれまで全く気がつかなかった自分の中に隠されていた才能に目覚めてゆくのです。それは口に絵筆をくわえてキャンバスに絵を描き、美しい絵に短い詩を書き込んでゆくという才能です。新しい才能が神の聖霊によって引き出されたのです。

人々から高く評価されるまでに至るには、並々ならぬ努力が必要でした。かつて青春時代に山岳部で体力と精神力を鍛え上げた過去をもつ富弘さんは、努力に努力を重ねて、味のある書体で詩を書けるようになりました。体を横にしたまま絵筆を口にくわえ、母親の協力で絵筆の色を変えながら描かれた数々の花々は、何故か見る人々の心をなごませ、添えて書かれた詩も人々の心を慰め、勇気や希望を与えるのです。やがて富弘さんの絵の個展が開かれました。富弘さんの絵は多くの人々から愛され、購入されました。「星野国弘カレンダー」として印刷され、日本の家庭にも飾られるようになりました。

老いてゆくお母様に代わって絵筆を洗い、富弘さんが望む色を整え、絵の具を整理する助ける人が必要でした。そこにも神様の愛の御手が働きました。前橋キリスト教会に通っていた渡辺さんという女性が、毎土曜日に富弘さんを見舞うようになったのです。やがてお母さんに替わって絵筆の世話をするようになり、出来上がった絵をほめて励ます人になりました。註A

 渡辺さんが病室を訪ねてから8年の歳月が経ちました。1981年4月29日、前橋キリスト教会の礼拝堂には蘭の花が一杯飾られ、式場に大勢の人々が祝福に訪れ、富弘さんと渡辺さんの結婚式が執り行われました。蘭の花の栽培者であり、富弘さんに絵の材料となる花の数々を提供し続けた西尾さんご夫婦が媒酌人でした。式の間、式後の披露宴でも富弘さんのお母様が、涙を流して喜ぶ姿が印象的でした。ここにも神様の愛が溢れていたのです。主は最善に導いてくださいました。

 註@ 星野富弘著『風の旅』(立風書房、1982年)「渡良瀬川」(20−22頁)参照。
 註A 星野富弘著『愛、深き淵より』(立風書房、1982年)参照。













 

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