牧師からあなたへのメッセージ     



Message 2 共に負って下さるイエス様 〜大石邦子さんの場合〜 

 一九七九年(昭和五五年)、テレビ・ドラマ「ああ、この愛なくば」が芸術祭の大賞を受けました。このドラマの主人公は福島県会津生まれの大石邦子さんです。一九六四年の九月の中旬、当時二二才だった邦子さんはいつものように出勤のためバスに乗りました。ところが横丁から小型トラックが突然飛び出してきたために、バスの運転手が急ブレーキをかけたのです。運転席を囲む鉄パイプのそばに立っていた邦子さんは、将棋倒しになって倒れかかる乗客とパイプの間にはさまれ、悲鳴を上げて気を失ってしまいました。その日の夕方、意識を取り戻した大石さんは左半身の感覚が失なわれていることに気づきました。悲しいことに、三年後には麻痺が右足にも進み、「第四領域症候群」という病名の、現代の医学では治らない病気であると宣告されてしまうのです。

 排泄の感覚も分からず、寝返りも一人ですることができず、じっとベットに寝ていなければならない邦子さんは、ある晩、心が沈みこんでゆくのを覚えました。外は桜の花に心華やぐ季節。夜桜見物に往来する人々の足音。同級生たちは皆きれいになってゆき、恋人が出来たり、お見合いをしたり、旅行はヨ―ロッパに出かけたというニュースすら耳に届いてきます。「それなのに、この私は結婚もできず、人の世話になるだけの役立たず。親の重荷になっている哀れな人間・・・」。こんなことをあれやこれやと考えているうちに、血が頭に上り、理性では押えつけられない凶暴な思いが突き上げてきて、「人にどう思われようと構わない。自分などは死んでも構わない。どうにでもなれ!」そんな捨て鉢の思いになると、大声で泣き叫び、手にする物を手当たり次弟、投げつけ始めたのです。それらが壁に当たり、窓に当たって飛び散りました。「どうしたの、邦子さん!」と、看護士さんが飛んで来て、呆然とその成り行きを見守っていました。「あんたなんか出ていけ!いつ呼んだのよ!出ていけったら、出ていけ!」邦子さんは叫びながら、今度は 看護士さん目がけて物を投げ始めました。彼女は物を避けながら、近づいてきました。  

 邦子さんは自分のしていることは良いことだとは思っていなかったのです。しかし、自分を押さえることが出来ず、引っ込みがつかなくなっていたのです。看護士さんは何も言いませんでした。投げる物がなくなって、看護士さんのカーディガンを引っ張ったり、胸を叩きました。看護士さんはされるがままに悲しそうな目で邦子さんを見つめていました。力が尽き、ただ空しさだけが心を覆い、声も涙も出なくなった時、看護士さんは邦子さんの頭を優しく抱きしめ、涙を拭くと、言いました。「ちょっとだけ、桜を見てこようか。」自分のカ―ディガンを脱いで邦子さんに着せると、彼女を背負って夜の病院の階段を一歩一歩と降りて、夜桜を見に連れていってくれたのでした。 
           
 大石さんは語っています。「私はあのときの、看護士さんの背中の温かさを今も忘れてはいない。」その温かさを感じながら、「どうしてあんな馬鹿なことをしたのだろう。 あんなことをしたってどうしようもないんだ。耐える以外ないんだ。二度とあんなことはするまい。悪かった。あやまろう。・・・・(と思った)」と。更に、もしあの時、看護士さんが「『こんなことをするのなら、精神科病棟に移ってもらう以外ありません』『こんなことをするのなら強制退院です。あなた一人ぐらいこの病院にいてもらわなくたって、この病院は少しも困りはしないのですから』・・・こんなかたちで突き放されていたら、私の人生は大きく狂ったものになっていただろうと思う」@と。

 しかし、看護士さんはそうはしなかったのです。丁度母親が子供を抱き寄せるように、邦子さんをそっと抱き、涙を拭き、彼女を背負って真夜中の階段を降りて、美しい夜桜を見に行ったのです。その気持ちの温かさを感じながら、「『この看護士さんは、青春時代を病み、一生治ることのない障害を負って生きてゆかねばならない私の、このやり場のなさを、悲しみを、切なさを、共に負ってくれたのだ。この病院には私の心を分かってくれる人がいる。』そう思うことの出来た、この一つの信頼が、その後生きてゆく上でどれほど大きな力になったかわからない。」と大石さんは書いておられます。A

 作者不明の次のようなお話があります。ある人が亡くなって天国に迎え入れられ、待ち望んでいたイエス様にお会いしました。イエス様はその人の地上での歩みの足跡をお見せになって、いつもイエス様が一緒に歩まれたことをお示しになりました。でも所々、彼の足跡が消えているのです。「イエス様、なぜ私の足跡があそこで消えているのですか?」「そう、あの時は、あなたが本当に弱っていた時でした。私があなたを背負って歩んでいたのです。」とイエス様はお答になりました。その事実を知り、彼は心からイエス様に感謝したのでした。私は邦子さんの苦しみを共に負った看護士さんの姿に、苦しみ悩む者の友となられ、人の罪を負われたイエス様の姿を思い浮かべました。

 邦子さんは一九六八年、二六才の時に洗礼を受けてクリスチャンになりました。彼女の心を神の愛へと開かせたのは、看護士さんの愛であり、イエス様ご自身だったのです。幸いなことに大石邦子さんの右手右腕は麻痺から免れました。カトリックの信者で、作家である曾野綾子さんから文才が認められ、励まされて、邦子さんは随筆を書くようになりました。そして、すでに数冊の本が講談社から出版されています。彼女は絶望的と思われる状態からはい上がりました。いまわしい交通事故の結果に、いつまでも捕らわれずに、未来に向かって歩み始めたのです。肉体的には不自由ですが、どうしようもなく苦しい時はイエス様に負われつつ、文章に表現する才能を生かして書き続けておられます。

 大石さんが書かれた随筆に「命のきずな」というものがあります。一人の高校生が大石さんを訪ねて語ります。「自殺はどうして罪悪なんですか。だれかを傷つけるわけじゃないんです。自分で自分の始末をするだけなんです。死ぬ自由だってあるでしょう。自分の命なんです。私なんか、生きてたって・・・」と思いつめた気持ちを言葉を選ぶように語りました。そんな高校生に大石さんは、昔のことのように思われる、自分が自殺を図った過去のことを語るのです。それは事故の後の入院中のことでした。大石さんは、苦しみが永遠に続くような錯覚に陥り、その苦しみから逃れたい、楽になりたいと思い、「痛くて眠れません」と訴え続けて睡眠薬をもらい、それをためてある日自殺を図ったのです。

 数日間眠り続けて目を覚ました時、ガソリンを飲み込んでおなかの中に火をつけたような、内蔵が焼けちぎれてゆくような、炎が口から吹き出しているような苦しみがあったのです。目が開かない。そばで誰かが自分の名前を読んでいる。「わかるか!」意外なことに彼女の父親の顔がありました。邦子さんのお父さんはお酒の好きな校長先生。何日間も眠らずにいたような、落ちくぼんだ目をし、白髪頭もボサボサで、邦子さんの頬を叩きながら、泣いていたのです。「死ぬことのほうが楽かもしれない。でも生きなくてはだめなんだ。分かるか。生きなくてはだめなんだ!」泣きながら訴える父親の姿がありました。仕事のこと、お酒のこと以外は頭にないような、家庭や子供のことなど顧みない人のように思っていた父親が泣いていたのです。激しく胸を打つものがありました。自分を愛して、一緒に苦しんでいてくれた両親のことを忘れて、「本当は死んでくれた方が良いと思っているに違いない」と勝手に考えて、一人失望して死を選んだ自分の愚かさを邦子さんは知りました。

 自分が死ぬことで両親を楽にさせたいとも思った邦子さんでしたが、娘の自殺のニュ−スを聞いて、お母さんはショックで心筋梗塞を起こし、別の病院に入院していたのです。そのことを聞いて、邦子さんは自殺という行為は、母を死に追いやるほどの苦しみを与える身勝手なことだと知ったのです。彼女は自分のやり場のない苦しみは誰にも分ってもらえないと思っていました。でも両親の愛に触れて、邦子さんは「私の苦しみは、或は父の苦しみであり、母の苦しみであったのかもしれない。私の寂しさは父や母の寂しさであったのかもしれない。父の中の愛が、母の中の愛が、命を結ぶ愛自らが苦しみ、愛自らが悲しんでいたのかもしれないと感じた」Bと後になって書いています。邦子さんは自殺の後遺症として、視力が弱くなってしまいました。〇・〇一、〇・〇七という視力は一生治らないのです。

 邦子さんは自分の苦しみを深いところで理解していてくれる両親を知り、そして最も深いところで自分の苦しみを共に負い、耐えられない以上の苦しみはイエス様ご自身が負っていて下さることを信じるようになりました。邦子さんの話を聞いて一人の女子高校生は自殺を思い止まり、苦しみに耐えて生きてゆく勇気を与えられて帰りました。邦子さんの苦しみに較べて、自分の苦しみはずっと小さいものに思われたのです。
  


 イエス・キリストの十字架は多くの人々の苦しみを救いました。なぜでしょうか。それはイエス様の十字架上の苦しみは、今の自分の苦しみを現在も共に負っていて下さる事実のしるしとして、人々が受け入れ信じたたからなのです。イエス様は生前多くの人々の病気をお癒しになりました。福音書を書いたマタイは、預言者イザヤが語った「彼はわれわれの病を負うた」(五三・四)という言葉を、神が後の世に現れる救世主が行われるしるしと理解し、救世主は人間の病気や苦悩を憐れみ、心の患いや体の病気を我が身に引き受け、愛ゆえにご自身の身に人の病気を摂取して、人の苦しみを癒す方であると解釈しました。そして、マタイはイエス様が多くの人を癒されたのは、慈愛の心をもって人々の病を負われたから、病が癒されたのであり、それこそイザヤの救世主に関する預言が成就したしるしであると説いたのです。

 イエス・キリストは死よりよみがえられました。そして、霊の姿をもって顕現なさるイエス様と出会ったと語る人々が二千年も続いてきたのです。私も霊の姿で顕現なさったイエス様を霊視できた体験者の一人なのですが、イエス様はいつも私の全てをご存知の上で、悩みや苦しみの中にある時、十字架の主の苦しみを思うようにお導きになります。十字架は神が人間と共に苦しんでいてくださることを示すしるしです。よみがえられたイエス様は今でも目に見えない霊の姿で、私たちと共にいて下さいます。負い切れないような重荷、苦しみはいつもイエス様が負っていて下さることを私たちが信じて、悩みが軽くされ、癒されるように願っておられます。十字架ゆえに私の罪は赦されました。苦しみの中でイエス様は私の魂を清め、信仰を強め、訓練して下さいます。主はいつも私たちのために最善を考えて下さいます。神は愛なるお方だからです。イエス様はおっしゃいました。「見ないで信じる者は、幸いである。見ないで信じる者になりなさい。」

註@ 大石邦子著『私の中の愛と死』(講談社、1985年)、25―27頁。    
註A 『同掲書』、27―28頁。                        
註B 『同掲書』、58頁。











 

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