おそれとおののき 〜 ルターの悩みと救い〜     



Message 17             斎藤剛毅

マルティン・ルターは1483年11月10日に生れました。お父さんは炭鉱の経営者で、マルティンが立派な法律家になることを期待しましたので、父親の期待に応えるためにエルフルト大学で法律を学び、1505年には修士号を取り、父親を喜ばせました。しかし、親しかった友人が突然病気で死亡しショックを味わい、また旅の途中激しい雷雨に襲われ、近いところに落雷した時、恐怖の余り地に伏して「神さま、もし私の命を守って助けて下さったならば修道士になります」と誓いを立てたのです。

神への誓いを守るために、父親の猛反対に耳を塞いで、戒律の厳しいアウグスティヌス会派の修道院に1507年に入り、真剣に死の恐怖と罪責の意識からの自由を求め始めました。ルターは書いています。「私は悪魔以上にキリストを恐れた。キリストは絵に描かれているように、虹の上に座り、口から正義の剣を突き出しており、罪人に怒りを持つ審判者であった。ゆえに、キリストの名を呼び祈ることは出来なかった。私は愛するマリヤのもとに隠れ家を見つけ、その衣の下に入り込み、守護天使聖トマスに祈った」(『ルター著作集』、ワイマール版47,276)。中世の修道院では如何にマリヤ信仰が強かったかが分かります。この時点でのルターにとってキリストは救済者ではなく、恐ろしい罪人を裁く審判者だったのです。

ルターは心と思いの中に生じる罪を厳密に調べ、懺悔告解室で罪を告白し、神父より赦しの宣言を受けるのですが、すぐに罪の思いや行為が生じてくるのを知り悩みました。ルターは自分のような罪の思いに悩まされ続ける男は永遠の滅びに定められているのではないかと怖じ惑い、罪人を聖なる義を持って審き、永遠の滅びへと突き落す神を信じ続ける苦痛を味わいました。

時折り、私たちもルターと同じ悩みに陥ることがあります。「誘惑に陥ることなく、悪からお救い下さい」と祈っても、誘惑に抵抗する力が弱く、サタンの誘惑に負けてしまうことがあるからです。創世記に書かれているアダムとエバのように、自分の過ちの責任を他の人に押し付けてしまう傾向が自分にあることを知ります。自分を傷つけ悩ます人を憎み、怒りを抱きます。嫉妬やねたみの思いが心に湧き上ります。苛立ちがしばしば生じます。目の慾、肉の慾が心をとりこにします。いつの間にか強い執着に捕らわれていることに気づきます。祈りを怠り、聖書よりも新聞、雑誌に興味を持ってしまう自分。信仰の弱さを思い、こんな自分は救われていると言えるのだろうかという疑いさえも頭をもたげてくるのです。自分は滅びてしまうのかもしれないという不安。これこそサタンの誘惑の目的なのですが、ルターの悩みは非常に深刻でした。

丁度、灯台の光が闇夜の海を航海する舟を照らし出すように、自分の意識の中で捉えた罪を告白しても、灯台の光は足元を照らすことが出来ないように、自分の意識が届かない心の奥深くに潜んでいるどす黒い罪の根が存在するならば、自分が告白出来ない罪が存在することになります。そして、その罪は神の目には明らかに知られているのであれば、どんなに神父に告白して赦しの言葉を受けても、それは一部の罪の赦しでしかなく、罪を生み出す根をえぐり取ることが出来ず、罪の根はそのまま残っていると考え、ルターは魂の平安を失ってしまい、ノイローゼの状態になりました。

ルターの深刻な悩みを救ったのはシュタウピッツ司祭でした。ウィッテンベルグ大学で聖書を深く学ぶことを奨められ、ルターは救いを聖書の学びの中に求めました。1512年に博士論文を完成し、13年から大学教授として聖書を教え始めるのです。ローマ人への手紙、詩篇と研究を深めてゆきまました。1515年になり、遂に聖書の福音の中心を再発見するのです。ルターは語っています。「私にとって義という言葉は、稲光、落雷のように思われた。この言葉を聞くだけで私は怯えた。…ある時、私はハバクク書2章4節の“義人は信仰によって生きる”という言葉とローマ人への手紙1章17節の”神の義は福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる“ について瞑想していた。その時、突然こういう考えが心に浮かんだ。”もし神の義が罪人を裁く義ではなく、全ての信仰者を救う義ならば、私たちの義と生命は信仰によってもたらされる。そして、私たちの良心と霊は高くあげられ、神の義が私たちを義とし、救いを確実なものとする。こうして、これらの聖書の言葉は新鮮な喜びに満ちた言葉に変った。聖霊がこのことを私に教えたのである。」(W-T3,No.32329)罪人を厳しく裁く神の義が、罪人を赦し、義とする神の義に変ったのです。

 ルターは1515年に書いた『ローマ書注解』の中で、「ただ、われわれが神の言葉を信じる信仰のゆえに、恵み深い神がわれわれを義とするのである」(W,56,287)と確信的に述べています。また後に書いた『創世記注解』の中で、聖霊による恵みの悟りを想起して次のように語っています。
「私は長い間、ローマ人への手紙1章17節にある“神の義は福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる“の聖句と取り組んできた。中世の神学者たち、教父たちは「神の義」を神の怒り、罪人を裁く神の義と解釈した。誰が怒りの神、人を裁き、咎める神を愛することが出来るだろうか。この誤解はハバクク書の「義人は信仰によって生きる」という言葉を注意深く調べる時まで続いた。私はこの聖句から、生命は信仰から出ると結論するようになった。その後、聖書全体が分かるようになり、天そのものが開いた。」(W43,537)

 信仰によって義とされるという喜びは、十字架の贖罪理解と結びついて更に深いものとなります。ルターは詩篇22篇の学びの中で、十字架上でイエス・キリストが叫ばれたと考えられている22篇1節、「わが神、わが神、何ゆえわたしを捨てられるのですか」に思いを集中しました。自分自身聖なる神の前では弱く、汚れており、神の聖性を冒す冒涜者であることを熟知していました。しかし、キリストは神の御子として強く、清く、罪を犯されなかった。それなのに、何故ご自身が神より捨てられ、遺棄されたと感じられたのか。何故キリストは絶望の淵に立つ試練を受けられたのであろうか。何故、絶対絶命の状態を体験せねばならなかったのか、と真剣に考えたのです。ルターの研究家、R.ベイントンが著書『われここに立つ』の中で描くルターの解決を要約すると次のようになります。

唯一つの答えは、キリストが人間全ての罪悪を一身に引き受けられたからに違いない。神は焼き尽くす神、清め、懲らしめ、癒されるお方。神は気まぐれな神ではない。神は御子において、すべての人の罪を裁き、罰し、死なしめ、死より甦らしめ、すべての人の罪を赦してくださった。信仰だけがこの神秘を掴むことができる。キリストの傷はわれらの癒しのためであった。人間に無くてはならぬものは信仰である。父なる神がキリストによって救われることを求めておられること、それを信じることが人間の側になくてはならない。その信仰は神の言葉を聞き、学ぶことから来る。ルターは「信仰による義人は生きる」(ハバクク書2章4節)に全く新しい意味を見出した。

ルターの発見した「神の義」とは、不義である罪人を、神はキリストの十字架による贖いゆえに赦し、あたかも義人であるかのように受け入れて下さるという、罪人を赦し、信仰から信仰に至らせる神の義だったのです。ルターは「天国の門が突如開かれたように感じられた」と語っています。救いは努力により達成されるのではなく、キリストの贖罪を信頼して受け入れ、罪深いまま自分を神の御手に委ねてしまうことによって実現すると悟ったのです。ルターの魂に真実の平安が、神と和解できた喜びが宿りました。このようにして、ルターは宗教改革の原点となる救いの福音を再発見したのです。

そんな時に、1517年教皇レオ10世が聖ペテロ寺院の修復のために免罪符を鳴物入りで売り出したのです。免罪符を買うと煉獄で苦しんでいる魂も天国に引き上げられるというのです。ルターはローマ教皇が煉獄で苦しむ魂に救いをもたらす権限がないこと;それをはっきりと示しているのは聖書であること;教皇は免罪符発売により経済的搾取をドイツに強いていると怒りをこめて、1517年10月31日、ウィッテンベルグ城の教会の扉に「95ケ条の抗議文」を張りつけ、教皇を批判しました。

抗議文はグーテンベルグの印刷術により、またたくまにドイツ国中に、またヨーロッパ諸国に知られ、1520年、ルターは自説を撤回しない限り破門するという通告を受け、1521年ヴォルムスの帝国議会に呼び出され、そこで自説を曲げず、「われここに立つ。神よ、われを守り給え」と語ったため帝国からの追放令が出されるのですが、ルターを支持するザクセン候フリードリッヒがルターをヴォルトヴルグ城にかくまい、ルターはそこで新約聖書をドイツ語に訳し、「キリスト者の自由」他三大著書を書き、ドイツではその影響で宗教改革の嵐が吹き荒れてゆくのです。ルターが作詞・作曲した「神はわがやぐら」はルターの強い信仰を表現しています。

ルターは1546年2月18日、心臓発作で死亡しますが、ルターの改革の炎はスイスに飛び火し、ツヴィングリ、カルヴァンの改革が行われ、イギリス、スコットランド、オランダ、フランスへと宗教改革が進行し、プロテスタント教会が生れたのです。

追記1:
近世は二つのRから出発したと言われています。すなわちRenaissance(ルネッサンス、文芸復興)とReformation(宗教改革)の二つのRです。それらはヨーロッパの歴史が、中世から近世に移る際に起きた二大歴史現象です。
ドイツのルターとスイスのカルヴァンの宗教改革が行われた時代は、中世の土台が崩れ去り、近世と呼ばれる新しい世界が出現した時代でした。地中海を中心とする中世世界の文明は終わりを告げ、コロンブスの新大陸の発見により海洋的文明の出現したのです。中世のヨーロッパは農業経済であり、土地が富の基盤です。しかし、16世紀迄に羅針盤による貿易航路の開発と植民地の市場開発による商業経済が発達し、中世の封建貴族に代わって、中産階級の商人が社会の有力者となり、彼らはカトリック諸国にかけられる税金により富がローマ教皇へと流出することに反対して、プロテスタント宗教改革を支持したという時代的背景があり、ルターやカルヴァンの宗教改革は成功に導かれたのです。
 またルネッサンスもプロテスタント教会の発達に大きく貢献しました。北ヨーロッパの人文主義者たちが「イエスに帰ろう」という掛け声の下に聖書の原典研究を始め、またラテン語訳でのみ読まれていた聖書を母国語に翻訳する試みも始められ、宗教改革の中心的教義、「信仰によってのみ義とされる」という教義を確証するのは「聖書のみ」だという原理を確立する道備えをしたのです。

追記2:
 ルターの著述からの引用の言葉は、訳者によって異なる表現もあり、読者がよく理解できるように私自身が多少の意訳を加えており、また省略している箇所もあることをお断りさせていただきます。学術文章ではなく、説教ですので、厳密性が欠けていますことをお許しください。













 

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