牧師からあなたへのメッセージ     



Message 1 鉄道自殺をはかり救われた米子さんの場合

 多感な高校生であった米子さんは、16歳の時にお母様を失いました。お母様は脳溢血で倒れて、帰らぬ人となってしまったのです。愛する母親の優しい言葉を失い、落ち込んだ時に励まし、慰めてくれた温かい母親の姿が消えて、彼女の心に現れた言いようのない悲しさと寂しさ、孤独感に加えて空しさに襲われた米子さんでした。学校で勉強して大学に入り、就職して、結婚して子供を産み、子供を後に残して死んでしまう。遺すものは骨と思い出だけ。そんな人生に生きてゆく意味があるのだろうか?答えを求めて書物を読み漁る米子さんの心を真剣に受け止め、理解してくれる人はおりませんでした。高校の先生さえも、「君は少し考え過ぎだね。そんなことを思いつめるだけ君は甘ったれているんだ。もっと勉強に打ち込んだらどうだ。悩みなど吹き飛んでしまうはずだ。」と言われてしまうだけでした。

 空しい心を紛らわすために出かけて行ったゴーゴー喫茶店、やけくその思いで人に隠れて吸う煙草、空しい心は癒されるどころか益々深刻になり、早くお母さんのところに行きたいと思うようになりました。海辺に立ってじっと海を見つめ、死を考える米子さん。とうとう昭和30年(1955年)2月、誘惑に負けて、東京の新宿駅で迫り来る電車に身を投げ出してしまったのです。

 病院のベットの上で意識を回復した米子さんは、生きていることにびっくりしました。それ以上にびっくりしたのは左腕が肩から無くなっていることでした。右手はあったのですが、小指と薬指の二本は消えていました。足はと思って右手で探って見ますと、左足は膝の下から、右足は足首のあたりから切断されていたのです。切断された所はじんじんとしびれています。彼女は「なぜ死なせてくれなかったの!」と思わず叫びました。枕に顔をうずめて泣き叫ぶ日が何日も続きました。

 そんな彼女のところへ、毎週金曜日、宣教師とクリスチャン青年の田原さんが訪ねて来ました。彼女は心を閉ざして耳を傾けず、看護師さんから眠れないという理由で睡眠薬をもらい、それを貯めてもう一度自殺しようと考えておりました。しかし、金曜日になると決まった時間に訪れて、米子さんがつっけんどんに応答しても、嫌な顔一つせずに、にこにこ笑顔で神様の愛を語ってくれる宣教師と田原青年の態度に、心が引かれてゆきました。信仰というものが、人をあのように変えるのであろうかと考えるようになったからです。

 入院3ヵ月後の5月、宣教師が置いていったテープレコーダーから聞こえて来た言葉が米子さんの心を捕らえました。「イエス・キリストが十字架にかかって死の苦しみを味われたのは、あなたを救うためです。あなたの罪を負って、あなたの身代わりとなって死んでくださったのです。十字架でお亡くなりになったイエス様は三日目に甦って、今も生きておられます。イエス様はあなたの苦しみや悲しみを全て御存知です。イエス様はあなたを愛しておられます。イエス様はあなたを助けてくださいます。・・・」米子さんの目に涙が溢れました。そして、十字架上で苦しまれたイエス様なら私の苦しみを分かってくださるに違いないと思ったのです。

 自分はわがまま一杯に生きてきた。そして、そのわがままを貫いて、家族の悲しみを考えないで自殺を図り、こんな姿になってしまった。これからは神様の愛にかけてみようと決心し、祈りました。彼女は初めて心が安らぎ、ぐっすりと眠ることが出来ました。翌日目を覚ましたら、前の悲しみは沸いてきませんでした。そして、驚いたことに3本の指が残っているという喜びがありました。それまでは、失った17本の指を考え、悲しんで死ぬことばかり考えていたのに、残された3本の指を喜ぶ心に変えられていたのです。何故だろうと思って、聖書を開いてめくっていると、次の言葉が目に留まりました。

 「だれでも、キリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである。これらの事は、神から出ている。」(コリント人への第二の手紙5章17−18節)何回も何回も噛みしめるように読んで、米子さんは自分の心が神様によって新しくされたことを知って、喜びました。それ以来、米子さんは神様の愛、イエス様の愛を心に受けて生きるようになったのです。

 それは米子さんの魂における新しい誕生でありました。宣教師と共に米子さんを訪ねた田原青年は生涯を神に捧げる決心をして牧師となり、障害をもつ米子さんに求婚し、二人は結婚しました。両足が無くても米子さんは義足を付けて田原牧師と共に伝道旅行に出かけます。そして神様の愛によって新しい自分に生まれ変わったことを力強く証しする人になりました。悲観的未来しか考えられなかった悲劇的少女の姿は全く消えて、生きる力と希望に満ちた明るい伝道者の妻に変身したのです。まさに神様が起こされた現代の奇跡的人生を歩んでいるのです。そして、多くの身体障害者に生きる勇気と希望を与えました。

 米子さんは残された3本の指を巧みに使って、料理も裁縫もします。彼女の活きた証しによって、多くの悲観的に生きていた人々に心に、希望と生きる勇気がもたらされました。やがて二人の子供が与えられ、成長した長女の真理さんは看護師になり、次女のルツさんはイエス・キリストの福音を宣教する伝道者になりました。



 私、斎藤も18歳の時に自分の将来に希望を持てず、生きてゆく意味も分からず、悩みを語る友も無く、心のうちを相談する先生も無く、罪深い世界の中で心が汚れて行く前に、命を絶とうと考えていたことがあります。でも、死後のことが分からず、キリスト教会に足を運び、礼拝で牧師先生の説教を聴き、聖書を読みました。私は天地創造の神様の存在を知りました。私は偶然に生まれ、偶然に死んでいくのではなく、神様のご計画に基づいて、私固有の使命を与えられて地上に生まれていることを知りました。神様は私を宝石よりも価値ある尊いものとして愛しておられること、信じて神様の導きに自分の将来を委ねるならば、全てを最善に導いてくださることを知り、私は洗礼を受けてクリスチャンになりました。

 それから、私の地上の使命とは何かを祈り求めますと、生きる真実の意味が分からずに、希望を失っている人々に神の深い愛とご計画を語り続ける伝道者になることだと示されて、国際基督教大学卒業後、西南学院大学神学部で学び、牧師になり、日本で伝道し、アメリカで研究し、1990年4月から福岡女学院大学人文学部で16年間、聖書を教えました。

 2003年に福岡女学院院長に選ばれてから、心臓の病気で辞任する2006年3月迄の約3年間、大学のチャペルに加えて福岡女学院中高の生徒たちにもチャペルで説教する機会が増え、また中学、高校、大学の入学式、卒業式の式辞を述べる忙しい年月でした。

 2006年7月に心臓バイパス外科手術を受けて生還し、現在は筑紫野南キリスト教会のボランティア牧師として、イエス・キリストの福音を宣教することに喜びと生き甲斐を感じながら生きています。あなたの上に神様の恵みと祝福を祈ります。











 

inserted by FC2 system